大聖堂の影響 ―― その3


■ 宝塔

☆バルダッキーノ

ローマの四大聖堂、と呼ばれる、
 サン・ショバンニ・イン・ラテラーノ聖堂(San Giovanni in Laterano)
 サン・ピエトロ・イン・ヴァチカーノ聖堂(San Pietoro)
 サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂(San Paolo Fuori le Mura)
 サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂(Santa Maria Maggiore)
には、いずれも、聖堂中央部に、バルダッキーノと呼ばれる、天蓋付きの、祭壇が作られています。サンピエトロ大聖堂のバルダッキーノ(写真はサンピエトロ大聖堂のバルダッキーノ)

この、天蓋付きの祭壇を、日本の建築で作ろうと考えると、寺院建築の、宮殿や、宝塔が、当てはまると考えられます。 このうち、宮殿は、正面性が強く、一般的に、壁に接して、作られるものなので、吹き抜け中央に作るには、ふさわしくありません。 宝塔、であれば、四方共に、同じ形なので、後ろから見ても、問題無く、吹きぬけ中央に、置くのにふさわしい、形態だと思われます。

宮上説では、宝塔は、仏教施設だから仏教の主題の書かれる、5階に作られていなければおかしく、仏をまつる宝塔の上に、舞台や橋が、かかるのはおかしいので、吹き抜け中央に宝塔が置かれる筈が無い、と、していますが、

宣教師の話に聞く、大聖堂の空間を、日本の建築で作ろうと考えた場合、バルダッキーノと呼ばれる天蓋付きの祭壇を、大聖堂の中心部分に置く必要があるので、日本建築で天蓋付きの祭壇に相当するものとして、宝塔がこの場所に置かれたと、考えられます。

■ 蛇石

☆ペテロ(岩)の上の教会

先ほども出てきた、カトリックの総本山にあたる、サン・ピエトロ・イン・ヴァチカーノ聖堂(San Pietoro)の、ドームの基部には、カトリックの正統性を謳う、イエス・キリストの言葉がラテン語のモザイクで書かれています。
『あなたはペテロ(岩)、この岩の上に私の教会を建てよう、私はあなたに、天国の鍵を授ける』


原文は、マタイによる福音書 16章、13〜20の部分

13. イエスが、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は、人の子をだれといっているか。」
14. 彼らは言った、「ある人々はパプステマのヨハネだと言っています。しかし、他の人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは、預言者のひとりだと言っている者もあります。」
15. そこで、イエスは言われた。「それでは、あなた方は、私をだれと言うか。」
16. シモン・ペテロが答えた。「あなたこそメシア、生ける神の子キリストです。」
17.  すると、イエスはお答えになった。「シモン・パルヨナ、あなたは幸いだ。 あなたに、このことを現したのは、人間ではなく、天にいます、わたしの父である。
18. そこで、 わたしも言っておく。 あなたはペテロ(岩)である。 そして、わたしは、この岩の上に、わたしの教会を建てよう。 黄泉の力も、これに打ち勝つ事はできない。
19.  わたしは、あなたに天国の鍵を授けよう。 そして、あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたが地上で解くことは、天上でも解かれるであろう。」
20.  それから、イエスは、ご自分がメシアであることを、だれにも話さないように、と弟子たちを戒められた。

(ペテロとは、ギリシャ語でペトラス。石という意味。岩とはギリシャ語でペトラ。 この時から、元漁師のシモン・パルヨナは、ペテロ(岩)、と呼ばれることになる。)


つまり、イエス・キリストが、シモン・パルヨナにペテロ(岩)という名を与え、ペテロを礎として、その上に自分の教会を建て、ペテロに天国の鍵を授けた、とされるエピソードで、カトリックの総本山にあたる、現在のサンピエトロ大聖堂は、その、ペテロの墓の上に建てられています。 ペテロと言う言葉は、直訳すれば岩、ということになるので、ペテロの上に建てられた教会、というサンピエトロ大聖堂の様子を伝えた、宣教師の言ったポルトガル語?を、日本語に翻訳した際に、岩の上に教会を建てる、と誤解して理解しても、おかしくありません。

この、岩の上に建てられた教会という条件を、日本の建築様式で考えると、構造上、不必要なほどの大岩を、地中深く埋め込んで心礎とした、法隆寺や、飛鳥寺の五重塔の例が考えられます。 安土城においても、信長公記の中で、蛇石を天主へ上げたと書かれているので、法隆寺などの奈良の古代寺院の例にならって、天主の礎として巨大な岩が使われたと考えられます。 発掘調査では、天主の地下は岩盤があったとされていますが、安土山の近くの、岩戸山に見られる、岩盤や岩が重なり合った状態を基礎にして天主を建てた場合、全体を掘り起こしてみなければ、岩盤と岩の区別がつかないので、安土山の地下も元々の岩盤に蛇石などの岩を寄せ掛けて巨大な基礎が作られていると考えれば、天主へ上げられた蛇石と、発掘調査の結果は矛盾する物では有りません。 

蛇石とは、宣教師に聞く、ペテロ(岩)の上に建てられた教会、の状態にならって、古代寺院の地中の心礎の形態を流用して作られた物と考えられます。

最終更新日時
2003/03/04 (火)
22:24:15

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■大聖堂

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