天守指図考察―― 「指図」平面と天主台■ 「いしくら」と「二重目」のズレ☆ 素人の書写の証拠宮上氏は、天守指図は大工棟梁”池上右平”の創作と断定していますが。天守指図を見ると、石垣の外側の線が、
「いしくら」では、内藤説による復元図の天主台とずれている部分があるのに「二重目」では、きちんと重なっています。 この、いしくら部分の石垣の線のズレは、石垣の角の位置を一間分間違えて描かれた単純なミスで、棟梁ならずとも 大工の修行を積んだ人なら、このように単純な指図の写し間違いをするとは思えないので、いしくらと、二重目で、石垣線にズレのあるこの図面は、大工の書いた元の図を、素人が写し間違えた物、と考えられます。 なぜ間違えたのかと考えると、二重目の形は、7尺の柱間を延長した線上に、殆どの角が乗るのに対し、いしくら では、基準となる線が無いためにずれてしまい、東側入り口部分も同じく、7尺グリッドに乗らないためにずれたと考えられ、このような初歩的なミスは、素人が写した場合ありがちな事です。
☆ 原図は天主計画時のもの内藤昌氏は、画題の注釈などから、天主完成後としていますが、天主指図 二重目 の角の柱は、7尺の角にきちんと当り、初期の天主では必ず起る、”計画と実際の石垣のズレを調整した部分”が見当たりません。(普通、角の柱間を変えて調整する為に、角の柱間は半端な寸法になる)この事から、少なくとも注釈以外は、天主計画時のものと思われます。この事は、現在の安土城の天主台からも推定できます。 ■ 「二重目」と「天主台」のズレ☆ 石垣と建物の調整方法天守指図の二重目の間取りは、南側の一部に座敷と外壁が接している部分があり、その他の外壁に接している部分は、縁側や、物置・廊下などになっています。 初期の天守台普請では必ず発生する、計画と実際の石垣のずれを、座敷のある南側の辺で行うと、座敷の畳がきちんと納まらずに、変形した状態になってしまうので、安土城の場合、南側の辺は実際に出来あがった石垣の線に合わせて建物を配置して、計画と実際の石垣のズレの調整は、南以外の東・北・西の三方の柱間を調整する事で行ったと考えられます。 ☆ 天主台の高さ現在の天主台を、石倉上高さ5.5尺で、 |
最終更新日時 2003/12/29 (月) 23:06:51 ■天守指図指図考察1
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