大聖堂の影響 ―― その7・番外編


■ 不等辺八角形

☆霊魂の再生・復活を表す8の数字   

神は六日で、天地を創造し、七日目に休息をとったそうなので、大聖堂シリーズ、最後の7番目は、番外編ということで、少し気になったことなど・・・。

安土城の天主は、一般に、不等辺八角形といわれ、不整形なイメージがあるのですが、
天主台石垣の、南と北の辺と、西南と東北東の、それぞれの辺は、互いに平行の関係にあります。
安土城 天主外形

安土城の、他の部分には、このような、平行する2種類の辺を持つ郭は存在しないので、この天主台は、内部に天主を建てる予定で、建物との間に適当な隙間をとって作られた天主くるわ、などではなく、上部の全面に、建物を建てる予定があったので、正確な辺を作る必要があって作られた石垣、と考えるのですが、その場合、1階外形が、八角で計画されたという事になり、あえて不等辺八角形にしなければならない理由が存在したと考えられます。

天守指図や、宣教師の記録などから推測できる安土城天主は、 信長を神とする宗教法人?信長教の総本山であるハ見寺の奥の院にあたる建物。 現在存在する建物で具体的に言うと、家康を神とする日光東照宮の、奥社にあたる建築で、将来、神としての信長を祈念する墓所として使用する予定がある、と考えられる建てものなので、キリスト教の教義によると、霊魂の再生、復活を表すとされる、8の数字にちなんだ、八角形にしたかったのではないでしょうか。

東照宮の祭礼において、家康の霊は、先ず西にある二荒山神社に、葬列を模したような状態で遷御して1夜を過ごし、千人武者行列で威儀を整えつつ、東の御旅所で霊威を復活させ、再び東照宮に還御する事から考えて、日本における神の霊威も、再生、復活を遂げる事が必要らしいので、キリスト教で魂を再生、復活させる建物である洗礼堂にちなんだ八角形にする必要があったと思われます。

実際の計画が、不等辺八角形になったのは、信長の要求が、「正八角形につくれ」ではなく、八角形に、ということであったために、大工が施工のしやすい、長方形平面を少しずらす形で、不等辺八角形に、つくったからであると思われます。



最終更新日時
2003/03/04 (火)
21:19:35

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■大聖堂

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不等辺八角形



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