第六天魔王 その2

                           だいろくてん  まおう

ルイスフロイスの記事に出てくる、信長が称した第六天魔王とは、中世の日本では、どのような存在だったのでしょうか?。 現代では、第六天魔王といえば、信長が連想されるのですが、中世の日本では、現在とは全く違うイメージで、第六天魔王は語られていた様です。

■ 文献に出てくる第六天魔王


☆ 大智度論 (だいちどろん) 龍樹著

天中有三大主。釋提婆那民二處天主。魔王六欲天主。梵世界中梵天王爲主。

魔名自在天主。雖以福徳因縁生彼。而懷諸邪見。以欲界衆生是己人民。雖復死生展轉。不離我界。若復上生色・無色界。還來屬我。若有得外道五通。亦未出我界。皆不以爲憂。若佛及菩薩出世者。化度我民。拔生死根。入無餘涅槃。永不復還。空我境界。是故起恨讎嫉。又見欲界人。皆往趣佛。不來歸己。失供養故。心生嫉妬。是以以佛・菩薩爲怨家。

  

☆ 平家物語 (へいけものがたり)

屋代本、剣巻
神璽とは神の印(おして)といふ文字なり。神の印(おして)といふは、如何なる子細にて帝王の御宝とはなるやらん、覚束なし。委しくこれを尋ぬれば、我が朝の起りより出でたり。天神七代の初め、國常立尊「この下に國無からんや」とて、天瓊矛(あめのぬぼこ)を降して大海の底を捜り給ふに、國なければ矛を引き上げ給ひけるに、矛の滴落ち留まり、凝りかたまり、島となりにけり。吾が朝の出で来るべき前表にて、大海の浪の上に「大日」といふ文字浮べり。文字の上に矛の〓留(したた)りて島となるが故に、大日本國と名付けたり。淡路国はこれ日本の始めなり。國常立尊より三代は、男の姿のみ顕れて女の姿はなし。第四代の泥土〓尊より第六代の面足尊まで三代は、男女の姿これなりといへども、夫婦婚合の義は無かりけり。第七の伊弉諾・伊弉册尊、淡路國に下りて男女婚合あらはれり。山石草木をうゑ給へり。大八島の国を造り、次に國の数を造り、又、世の主無からんやとて、一女三男を生み給ふ。所謂、日神・月神・蛭子・素盞鳴尊なり。日神と申すは、伊勢大神宮、天照大神これなり。月神と申すは、月読尊、高野丹生大明神と号す。蛭子は三年まで足立たぬ尊にておはしければ、天石〓樟船に乗せ奉り、大海が原に押し出だして流され給ひしが、摂津國に流れ寄りて海を領ずる神となりて、夷三郎殿と顕れ給ひて、西宮におはします。素盞鳴尊は、御意荒しとて出雲國に流され、後には大社となり給へり。さて、伊弉諾・伊弉册尊は、國をば天照大神に譲り、山をば月読命に奉り、海をば蛭子領じ給へり。素盞鳴尊は、「分領なし」とて、御兄達と度々合戦に及ぶ。これに依て不孝せられて雲州へぞ流されける。さて、天照大神は日本を譲り得給ひながら、心の任(まま)にも進退せず。第六天の魔王と申すは、他化自在天に住して、欲界の六天を我が儘に領ぜり。然も今の日本國は六天の下なり。「我が領内なれば、我こそ進退すべき処に、この國は大日といふ文字の上に出で来る島なれば、仏法繁昌の地なるべし。これよりして人皆生死を離るべしと見えたり。されば此には人をも住ませず、仏法をも弘めずして、偏に我が私領とせん」とて免さずありければ、天照大神、力及ばせ給はで、三十一万五千載をぞ経給ひける。譲りをば請けながら星霜積りければ、大神、魔王に逢ひ給ひて曰く、「然るべくは、日本國を譲りの任(まま)に免し給はば、仏法をも弘めず僧・法をも近付けじ」とありければ、魔王心解けて、「左様に仏法僧を近付けじと仰せらる。とくとく奉る」とて、日本を始めて赦し与へし時、「手験に」とて印を奉りけり。今の神璽とはこれなり。

☆ 沙石集 (させきしゅう) 無住著

太神宮の御事
 去弘長年中(1261〜1264)、太神宮(伊勢神宮)ヘ詣テ侍シニ、或社官ノ語シハ、當社ニ三寳ノ御名ヲ忌、御殿近クハ僧ナドモ詣デヌ事ハ、昔此國未ダナカリケル時、大海ノ底ニ大日ノ印文アリケルニヨリ、太神宮御鉾指下テサグリ給ケル。其鉾ノ滴、露ノ如ク也ケル時、第六天魔王遥ニ見テ、「此滴國ト成テ、佛法流布シ、人倫生死ヲ出ベキ相アリ」トテ、失ハン爲ニ下ダリケルヲ、太神宮、魔王ニ會給テ、「ワレ三寳ノ名ヲモイハジ、我身ニモ近ヅケジ、トク〜歸リ上給ヘ」ト、誘こしらヘ給ケレバ歸ニケリ。其御約束ヲ〔タガヘジトテ〕、僧ナド御殿近ク參ラズ。社壇ニシテハ、經ヲモアラハニハ持ズ。三寳ノ名ヲモタヾシク謂ズ。佛ヲバ立スクミ、經ヲバ染紙、僧ヲ〔バ〕髮長、堂ヲバコリタキナドイヒテ、外ニハ佛法ヲ憂キ事ニシ、内ニハ深ク三寳ヲ守リ給フ事ニテ御座マス故ニ、我國ノ佛法、偏ニ太神宮ノ御守護ニヨレリ。


   

☆ 太平記 (たいへいき) 小島法師?著

流布本・16巻、日本朝敵ノ事
夫日本開闢ノ始ヲ尋レバ、二儀已分レ三才漸顯レテ、人壽二萬歳ノ時、伊弉諾・伊弉册ノ二ノ尊、遂妻神夫神ト成テ天ノ下ニアマクダリ、一女三男ヲ生給フ。一女ト申ハ天照太神、三男ト申ハ月神・蛭子・素盞烏ノ尊ナリ。第一ノ御子天照太神此國ノ主ト成テ、伊勢國御裳濯川ノ邊、神瀬下津岩根ニ跡ヲ垂レ給フ。或時ハ垂迹ノ佛ト成テ、番々出世ノ化儀ヲ調ヘ、或時ハ本地ノ神ニ歸テ、塵々刹土ノ利生ヲナシ給フ。是則迹高本下ノ成道也。
爰ニ第六天ノ魔王集テ、此國ノ佛法弘ラバ魔障弱クシテ其力ヲ失ベシトテ、彼應化利生ヲ妨ントス。時ニ天照太神、彼ガ障碍ヲ休メン爲ニ、我三寳ニ近付ジト云誓ヲゾナシ給ヒケル。依之第六天ノ魔王忿リヲ休メテ、五體ヨリ血ヲ出シ、「盡未來際ニ至ル迄、天照太神ノ苗裔タラン人ヲ以テ此國ノ主トスベシ。若王命ニ違フ者有テ國ヲ亂リ民ヲ苦メバ、十萬八千ノ眷屬朝ニカケリ夕ベニ來テ其罰ヲ行ヒ其命ヲ奪フベシ」ト、堅誓約ヲ書テ天照太神ニ奉ル。今ノ神璽ノ異説是也。
誠ニ内外ノ宮ノ在樣自餘ノ社壇ニハ事替テ、錦帳ニ本地ヲ顯ハセル鏡ヲモ不レ懸、念佛讀經ノ聲ヲ留テ僧尼ノ參詣ヲ許サレズ。是併當社ノ神約ヲ不レ違シテ、化屬結縁ノ方便ヲ下ニ祕セル者ナルベシ。



   

☆ 百合若大臣 (ゆりわかだいじん) 幸若舞 作者未詳

かくて打ち過ぎ行く程に、そも、わが朝と申すは、国常立尊よりも始め、さては伊弉諾と伊弉冉はかの国に天降り、二柱の神となり、第一に日を生み給ふ。伊勢の神明にておはします。其の次に月を生む。高野の丹生の明神月読尊これなり。〔中略〕神の本地を仏とは、よくも知らざる言葉かな。根本地の神こそ、仏とならせ給ひつつ、衆生を化度し給ふなれ。それはともあらばあれ、そもわが朝と申す〔は〕、欲界よりはまさしく魔王の国となるべきを、神みづから開き、仏法護持の国となす。大魔王他化自在天に腰を掛け、種々の方便めぐらして、いかにもしてわが朝を魔王の国となさんとたくむによりて、すなはち天下に不思議多かりき。〔中略〕
 そもわが朝と申すは、国は粟散辺土にて、小さしとは言ひながら、神代よりも伝はれる三つの宝これあり。一つに神璽とて、第六天の魔王の押し手の判、是あり。二つに内侍所とて、天照神の御鏡あり。三つには剣宝剣とて、出雲の国簸上が山の大蛇の尾よりも取りし霊剣あり。これみな天下の重宝にて、代々の御代に異国より凶夷起って欺けど、神国たるによりつつ亡国となる事もなし。



☆ 通海参詣記 (つうかいさんけいき) 通海著

 一。僧ノ云ク。神拜ノ次第。託宣ノ旨趣貴ク承リヌ。抑モ當宮ニ佛法ヲ忌セ給トテ。加樣ニ二ノ鳥居ノ内迄參侍レドモ。中院ノ神拜ヲユルサレス此邊ニテ法施ヲ奉レハ。事モ相ヘタヽリ。念モ及サル心地シ侍リ。サモ御誓ハ何ツヨリ始テ。何カナル文ニ見ヘタル事ニカト云ニ。
 一。俗ノ云ク。佛法ヲ忌事ハ昔シ伊弉諾伊弉冉尊ノ此國ヲ建立セント思給テ。第六天ノ魔王ニ乞請給シニテ。王ノ申テ云ク。南閻浮提ノ内。此所ニ佛法流布スヘキ地也。我佛法ノアタナルニ依テ。是ヲ不可許ト申シカハ。伊弉諾尊。然者佛法ヲ可忌也トテ。コイ請ケ玉シニヨリテ。佛法ヲ忌也ト申シ傳ヘタリ。


☆ 日葡辞書(にっぽじしょ)

Xinxi シンシ(神璽) すなわち,Dairocutenno mauono voxiteno fan
(第六天の魔王の印(おして)の判) 
日本の国王の持っている,三つの古い工芸品の一つといわれる
ある印判.ただし,種々の異説がある.


■ 第六天魔王と天照大神の契約

☆ 日本の支配権

平家剣巻の中で第六天魔王は、日本の支配権について、「我が領内なれば、我こそ進退すべき処に、・・・、偏に我が私領とせん」。として自分の領土としています。沙石集では「失ハン爲ニ下ダリケル」つまり、日本を消滅させようとやってきて、太平記では、日本の支配者である天照大神の出現を妨げようとしています。また通海参詣記では、伊弉諾伊弉冉尊が、第六天ノ魔王に日本の支配権を乞請るという事になっています。
この事から言って、中世日本における第六天魔王に対する認識は、伊弉諾伊弉冉尊や天照大神より前から存在して、日本を実効支配していた非常に力の強い神であり、仏法を嫌っている存在であった、と思われます。

☆ 仏法を忌避する契約

天照大神が(通海参詣記では、伊弉諾伊弉冉尊)、日本には、仏教を近づけないと言う誓を立てたので(沙石集では騙したそうだ)、第六天魔王は、日本の支配権を与え、天照大神とその子孫を守護する誓を立て、その契約の印に神璽を与えた事になっています。
つまり、第六天魔王との契約上、天照大神とその子孫には、仏法を忌避しなければならない義務があるのですが、中世の天皇家では仏教を信仰していて、契約違反の状態が続いていた事になります。 沙石集では、天照大神までもが、表向き仏教を忌んでいる風を装っているが、内心は仏法を守り、尊んでいるそうで、天照大神が第六天魔王を騙して日本の支配権を譲ってもらった事になっています。

☆ 第六天魔王の権利

さて、
天照大神とその子孫が、仏教を信仰し保護しているという事は、第六天魔王との契約に違反しているわけで、第六天魔王には、日本の支配権を取り戻す(奪う)権利が発生している事になります。 信長が第六天魔王を称したのには、天皇にとって代ろうとする野望があったために、皇位簒奪の正統性を唱える必要があったためでは無いでしょうか。 そう言えば、室町幕府の3代将軍の足利義満が、「百王の系譜はことごとく尽きて、猿と犬が英雄を称するに至る」 という邪馬台詩の予言を使って、百代目の天皇である後小松天皇から、皇位を奪う正統性を演出した事が思い浮かばれます。

☆ 反本地垂迹説

中世の日本で、なぜこのような第六天魔王論が流行していたのかと言うと、鎌倉時代の元寇の時の神風によって、日本は神国であるという思想が高まり、その流れで、本源的な原初の存在を、記紀の初出の神=国常立神として、仏教の説く本地垂迹説を否定した「伊勢神道」が、伊勢神宮の外宮の祠官である度会氏によって唱えられ、さらにこの反本地垂迹の考え方が発展して、「吉田神道」に至ると、「神を以て本地となし、仏を以て垂迹となす」という、神が本で、仏は神から派生したものとする状態になったとかで。吉田神道では、日本(神道)が種子・根本であり、中国(儒教)は枝葉であり、インド(仏教)は花実であるとされ、神道を中心とする主体的な宗教の総合化がはかられたそうです。 この、神道が正統とする考え方が、段々過激になって、仏教を信奉していると第六天魔王の祟りがあるという域まで達して、このような第六天魔王契約説が出来あがったと思われます。



最終更新日時
2004/05/29 (土)
20:29:34

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