安土日記

尊経閣(そんけいかく)文庫蔵  天正七年正月の部分

注:原文のイメージを出すために 文字の大きさの変化や改行をしています。
   太字が本文 細字が注と小字です。 なお、ルビは原文には無いので適当に振ってあります。


前略

・ ・ ・ ・ ・ 正月(しょうがつ)廿五(にじゅうご) 村井(むらい)
 長門守(ながとのかみ) 京都(きょうと)より 罷下(まかりくだり) 安土御山ニ而(あずち おんやまにて) 御礼(おれい)被申上候(もうしあげられ そうろう)
 然而(しこうして) 林佐渡守(はやし さどのかみ) めし(召し)被寄(よせられ) 両人ニ(りょうにんに)御めし(おん召し)被下(くだされ) (かたじけなく)
 御殿主(おんてんしゅ)を ()せさせられ候  
                   御殿主(おんてんしゅ)ハ 悉黒(ことごとく くろ)
 漆也(うるし なり) 御絵所(おんえのところ)皆金也(みなきんなり) 高サ十六(けん)々中 天正(てんしょう)
 丁丑(ひのと うし)八月廿四日(にじゅうよっか)柱立(はしらたて) 同霜月(しもつき)三日屋上葺合候(ふきあわせ そうろう)



上一重(かみいちじゅう) 三間四方(さんけんしほう) 御座敷(おざしき)之内皆金 外輪(そとがわ)欄干(らんかん)
     上龍下龍(のぼりりゅうくだりりゅう)天井ニハ天人御影向(ごようごう)之所被遊候(あそばせられそうろう)
 柱ハ金也 狭間戸(さまど)鉄黒漆(なり)
    四方柱ニハ  数六十余      南伏儀(ふっき)神農(しんのう)皇帝
  段々二御縁をはり出し

 三皇(さんこう) 五帝(ごてい) 孔門十哲(こうもんじってつ)       西文王(ぶんおう)老子(ろうし)
  かうらんきほうしひうち           北二太公望(たいこうぼう)

 商山四皓(しょうざんしこう) 七賢(しちけん) 狩野永徳(かのうえいとく)二かゝせられ
  ほうちゃくをつらせられ候         東二孔子(こうし)七賢(しちけん)


二重目(にじゅうめ) 八角四間ほと有 外柱(そとばしら)ハ朱 内柱(うちばしら)皆金(なり)
 釈門(しゃくもん)十大御弟子等かゝせられ 尺尊(しゃくそん)御説法(ごせっぽう)之所
 御縁輪(えんがわ)二ハ 餓鬼共鬼共(がきども おにども)をかゝせられ 御縁輪(えんがわ)
はた板二ハ しやちほこ()ひれう(飛龍) かゝせられ候 かうらんきほう(高欄 擬宝珠)
                                  し有


三重目(さんじゅうめ) 御絵ハなし 南北の破風(はふ)に 四畳半之
 御座敷 両方在之(これあり)  こやの段と申也(もうすなり)


四重目(よんじゅうめ) 西十二間(じゅうにま)ニ 岩ニ色々の木を被遊(あそばされ) (すなわち)岩之間
 と申候(もうしそうろう)  次 西八畳敷ニ龍虎(りゅうこ)之戦有
 南十二間(じゅにま) 竹之色々被遊(いろいろあそばされ) 竹間と申候(もうしそうろう) 次十二間(じゅうにま)
 松(ばかり)を色々被遊候(あそばされ)
 東八畳敷 桐ニ鳳凰  次八畳敷 きよゆう(許由)
 耳をあら()へは そうほ(巣父) 牛を()き帰る所  両
 人之出たる古郷之体(ふるさとのてい) 次 御小座敷(こざしき) 七畳敷
 でい()(ばかり)也 御絵ハなし

 北十二畳敷ニ 御絵ハなし  次十二畳敷 此
 内 西二間之所ニ てまりの木を被遊候(あそばされそうろう) 次八畳
 敷  庭子(にわこ)景気(けいき)也 御鷹の間と申也(もうすなり)



五重目(ごじゅうめ) 十二畳敷御絵有 花鳥(かちょう)の間と申也
 別ニ 一段四畳敷 御座之間有 同花鳥(かちょう)
 御絵有   次南八畳敷 賢人間 へうたん(瓢箪)
 より(こま)の出たる所有
 東 麝香(じゃこう)の間 八畳敷  十二畳 御門之上
 次八畳敷 ろとうびん(呂洞賓)と申仙人 杖なけ捨たる所
 北廿畳(にじゅう)敷 駒の牧之御絵有  絵の ふりたる所
 是 ふゑつの図と申 次十二畳敷 せい王母(西王母)の御絵有
  西 御絵ハなし 御縁二段ひろ縁なり  廿四畳(にじゅうよんじょう)
 敷 物置の御なんと(お納戸)(あり)  (くち)ニ 八てう()敷之御座
 敷在之(これあり)


六重目(ろくじゅうめ) 十二畳敷 墨絵ニ 梅之御絵を被遊候(あそばされそうろう)  同
 間内  御書院有 是ニ遠寺晩鐘(えんじばんしょう) 景気(けいき)被書(かかせられ)  まへに
 盆山(ぼんさん) 被置候也(おかせられそうろうなり)  次四てう()敷 (きじ)の子を愛する所 御
 棚ニ鳩(ばかり)かゝせられ 又十二てう敷ニ (がちょう)をかゝせら
 れ (がちょう)の間申也  又其次八畳敷 唐の儒者
 達をかゝせられ  南 又十二てう()敷 又八てう()
  東 十二畳敷 御縁六てう()敷 次三てう()
 其次八てう敷 御膳を拵申所也(こしらえもうすところなり) 又其次八畳敷
 御膳拵申所(こしらえもうすところ)  六てう敷 御南戸(なんど)  又六畳敷
 (いずれ)も御絵所金也
  北之方 御土蔵(どぞう)有  其次 御座敷 廿六畳
 敷 御なんと(納戸)也  西六てう敷 次十七てう敷
 又其次 十畳敷 同十二畳敷  御なんと(納戸)の数
 七ツ 此下(このした)金灯炉(きんとうろう)つら()せられ候



七重目(ななじゅうめ)      以上 柱数二百四本  本柱長さ八間
高サ十六間(じゅうろっけん)々中(まなか)      本柱ふとさ一尺五寸四方  六寸四方
広サ南北ヘ廿間(にじゅっけん)      一尺三寸四方木
  東西十七間(じゅうななけん)

   狭間戸(さまど) 数六十余有 何れも鉄ニ黒漆也
 かな物ハ京のたいあミ被仰付候(おおせつけられそうろう)
  七重之御構高く青漢(せいかん)の内に(たばさ)ミ 棟梁(とうりょう)
上一重 後藤三郎四郎 かなく 仕候在之(これあり)  見事申計(みごとともうすばかり)なく候由候(そうろうよしそうろう)
 遥に秀て 四面之椽悉(ろくしつ) 金物有 瓦のこくち
 金銀を以て見かき(磨き) ひうち(火打)うちゃ(宝鉦)くをつら()せられ候
 白霧之間ニ(のぞみ) 金銀空に(かがや)き (ことば)にも難尽(ふでにもつくしがたし)
 ( )
    御大工 岡部又右衛門 御普請奉行之(ふしんぶぎょう)ハ 木村二郎
 左衛門  漆師首(ぬりしがしら)ハ刑部  白金屋 (かしら)ニ 宮西與六
                                   瓦ハ
 唐様(からよう)に 唐人一官ニ被仰付(おおせつけられ) 被焼候(やかせられそうろう)  瓦奉行
 小川孫一郎 堀部佐内 青山助一也  御細工(さいく)請取〜
 数多在之(あまたこれあり)   致見物 生前思出 忝次第(かたじけなきしだい) 中々申ハ
 愚候(おろかにそうろう)  
      正月廿六(にじゅうろく)
 朝 宮内法印(くないほういん)所へ  上様(うえさま)被成(ならせられ)
 御山下 御茶之湯御座候(ござそうろう)  村井長門守 林佐渡両人
 被召連(めしつれられ) 御茶被下候(くだされそうろう)  終日(しゅうじつ)降申(ふりもうし)(そうらい)キ  二月十四日

・・・・・・
後略


最終更新日時
2003/12/31 (水)
17:52:28

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