奈良の寺院―― 三間四面 さんけんしめん 天守指図を否定している、宮上氏の考察によると〔国華999号P18〕 ■ 三間四面 (さんけんしめん)☆ 忘れ去られた表記法三間四面とは、間面記法(けんめんきほう)と呼ばれる、奈良時代から鎌倉時代ころまで使われていた、現代における´3LDK´のようなパターンの、建築の概略を表現する方法です。 室町時代になると使われなくなり、すっかり忘れ去られてしまい、長いこと謎の表記法とされていたのですが、昭和になって足立康氏が読み解くことに成功しました。 (中古に於ける建築平面の記法:考古学雑誌23-8:昭和8年) ☆ 間面記法 (けんめんきほう) 古代の建築は、東大寺大仏殿や紫宸殿などの例外を除き、建物の母屋の奥行き(梁行)がほぼ二間と決まっていたので、母屋の柱間の数と母屋に付属する庇が出ている方向の数で、おおよその建物の概略を表現できました。 ☆ 法隆寺 (ほうりゅうじ) さて、奈良に建てられた寺院の中でも、世界最古の木造建築物とされる法隆寺の金堂は、間面記法で表すと、三間四面に裳階付きの平面をしています。 具体的には、梁間二間に、桁行き三間の母屋の四方に梁間一間の庇が廻り、その外側に裳階が付けられている事が見て取れると思います。法隆寺の金堂は二階も付いているので、正確には、三間四面裳階付き、重層入母屋造りと表現できます。 ☆ 喜光寺 (きこうじ) 法隆寺から8kmほど北北東にある喜光寺の金堂は、平面図では三間四面と同じなのですが、立面は少し変わっていて、母屋の空間が、建物のいわゆる二階部分まで建ちあがっています。 ☆ 東大寺 (とうだいじ) 奈良の寺院で最大の建物である東大寺大仏殿は、江戸時代に縮小して立てられた現在の建物で、梁間三間の五間四面裳階付きの建物であり、天平創建時の建物は七間四面裳階付き、であったと考えられています。 ■ 構造は、奈良の寺院建築を流用☆ 安土城の三間四面 天守指図の三階部分の柱を抜き出して、方眼紙の上に配置してみると、吹き抜け部分の梁間が四間で、桁行き六間で中央部分が構成され、その外側に幅二間の(北側は三間)座敷部分が配置されていることがわかります。 ☆ 柱間を二倍に拡大 法隆寺など、奈良時代の寺院は、梁間が二間で、桁行三間の母屋の、前後左右の四面に一間幅の庇を付けた三間四面の形が基本になって作られていますが、 天守指図では、梁間四間で桁行六間の吹き抜けの周りに、幅二間(北側は三間)の座敷が作られていて、これは、奈良の寺院の三間四面の平面を、ニ倍に拡大した形が基本になって計画されていると考えられます。 |
最終更新日時 2008年1月4日 17:25:46 ■日本
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