大聖堂の影響 ―― その5


■ 金灯篭

☆コンフェッシオーネの金のランプ

安土日記の一階(六重目)の最後の部分には、御納戸の数七つ、この下に金灯篭つらせられ候。と、書かれた部分があります。 さて、床下に下げられている金灯炉が、どうして1階にある、七つの納戸の下にある、とわかったのでしょうか? という事から、安土日記の中にも、間接的に、吹きぬけの存在を示唆した部分がある、というのは、また別の話・・・。(天守指図 六重目を参照)

・・・、話は戻って、安土城にかぎらず、地下の石倉部分を持った天守は、記録に残っている物でも、非常にたくさんありますが、その石倉部分に、金灯篭が釣られていた天守の記録は、安土城の他には、存在しないのではないでしょうか?

カトリック総本山の、サン・ピエトロ大聖堂の、天蓋(バルダッキーノ)付きの教皇専用の祭壇の下には、ペテロを祭る祭壇である、パリウムの壁龕が設けられていて、この、パリウムの壁龕は、その前のコンフェッシオーネの天井から下げられた、金のランプによって絶えることなく照らされています。 この、祭壇を照らす金のランプを、日本の建築で考えれば、宝塔の周囲に釣られた、金の釣灯篭になるのではないでしょうか?

また、日本建築で、建物内部に、金灯篭が釣られている建物といえば、当時、焼失したばかりの比叡山の根本中堂にあった、不滅の法灯など、寺社建築がほとんどなので、安土日記の記事からも、安土城天主が宗教的な建築だと推測できます。

■ 盆山の間

☆聖人を祭る壁龕

大聖堂の内部には、先ほどのパリウムの壁龕を初めとして、吹きぬけ周囲の祭室や壁際に、聖人や聖遺物を祭った壁龕が、たくさん設けられて居ます。  この、壁龕を、日本の建築で作ろうと考えると、壁が窪んでいて、人が中に入らない、という条件を満たす物は、床の間や、書院になるのではないでしょうか?

さらに、その部分に聖人や聖遺物を祭ろうと考えた場合、床の間正面に、障子をはめ込んだ丸窓が作られ、その奥に、千利休像などがまつられている、とされる、裏千家の御祖堂、のような建築になると思われます。

内藤説では、盆山の間は、1間四方の空間に、2段の板が付けられ、上の段に盆山が置かれている形式に復元しているのですが、これでは、書院の一般的な形と、違いが大きすぎて、拝見者が、すんなり「書院」と記録できたかど盆山の間 概略図うか、疑問に思われます。

裏千家の例から考えると、盆山の間は、普通の書院の障子の奥に、盆山が納められた部屋がある形、なのではないでしょうか。

最終更新日時
2003/01/13 (月)
22:55:19

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■大聖堂

八角の段
最上階の鐘
宝塔・蛇石

宝塔前の部屋
金灯篭・盆山間
舞台と橋

番外編
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