[掲示板へもどる]
一括表示

タイトル安土城天主三階推定復元図
記事No: 139 [関連記事]
投稿日: 2003/01/11(Sat) 08:43
投稿者森嶋

安土城天主三階推定復元図 画像サイズ: 410×410 (33kB) まだまだ不十分な点も多いですが,
三階の推定復原図が一応できたので,この掲示板に発表します.
皆さんの御批判をいただきたいです.

四角は一階・二階と同じ位置に柱があることを,
小さな丸は二階と同じ位置に柱があることを,
大きな丸は二階と同じ位置に柱がないことを意味します.



1 西十二間ニ岩ニ色々の木を被遊則岩之間と申候

2 次西八畳敷ニ龍虎之戦有
3 南十二間 竹之色々被遊竹間と申候
4 次十二間松計を色々被遊候

5 東八畳敷 桐ニ鳳凰
6 次八畳敷 きよゆう耳をあらへは そうほ 牛を牽き帰る所 両人之出たる古郷之体

7 次御小座敷七畳敷でい計也 御絵ハなし
8 北十二畳敷ニ御絵ハなし

9 次十二畳敷 此内 西二間之所ニてまりの木を被遊候
10 次八畳敷 庭子之景気也 御鷹の間と申也



私は故宮上氏と同様に,
信長の安土城の天主は,会所が重要であった室町時代の御殿と
対面の儀式に使われる御殿が中心である秀吉大坂城以降の御殿との中間であり,
この三階の機能は会所であると考えます.

1,5,6の各部屋に狭間戸はあったと思いますが,
狭間戸の位置を決定するのが困難なので描いていません.
2は南の縁から光が入るので,狭間戸はありません.


「2・3・4」が一つのセットで,能などを観たり,
親族・重臣を一堂に集め対面や会議をしたり,
宴会等に使用されたと考えます.
2と3の境,3と4の境(もしかしたら3・4と南の縁の境)には
襖などの建具はなかったでしょう.

故宮上氏は,「4・10」と一つのセットとして考え,
10が信長の御座であるとしています.
しかし,10の障壁画の鷹の絵は,
二条城二の丸御殿の鷹の絵のような,
観る者を圧倒する迫力のある絵ではなく,
庭の籠で鷹を飼う様子の穏やかな絵ですから,
大きな部屋に対する主室の画題としては不適だと思います.
また,採光の点からもこの解釈はおかしいと思います.

言うまでもなく龍は皇帝の象徴であり,
2の龍虎の絵がある部屋こそ,
この階における信長の御座にふさわしいと考えます.
3,4は家臣等が座る部屋,
また,4の松が描かれた部屋は能などの舞台に使われたと考えます.
室町時代では舞台に使われる部屋を「舞の十二間」と言ったそうですが,
4は「舞の十二間」そのものだと思います.



淳也さんの御質問
> 森嶋さんは、どのような理由から、3階に能舞台があったと
> 考えておられるのでしょうか?
に答えます.
総見寺に能舞台があったようですが,
宴会の余興で能などを観せる場合,
天主三階から客を連れてわざわざ総見寺まで行くのは面倒ではないでしょうか.
二の丸・三の丸にも舞台はあったかもしれませんが,
4が舞台として使用されたと考えるのが合理的ではないでしょうか.



以前にも書きましたが,
「5・6」は天皇が安土に行幸したときだけ使われる部屋で,
5と6の境にも襖などの建具はなかったと思います.

最近の安土城大手門の発掘調査からも
安土城は天皇の行幸を非常に強く意識して設計されたことが解ります.
それ故,天主にも当然,天皇の御座があったはずで,
それは天皇の象徴である鳳凰の絵がある5以外ありえないでしょう.
そして,6は天皇を接待するときの信長の御座で,
この部屋の画題はそれにふさわしいでしょう.

信長が天皇を接待する場合,
4と5の境の北一間,4と6の境にある南一間の松が描かれた襖を外し,
2と3の境にはめて,
3の「竹間」を舞台にする予定であったと考えます.
4は天皇に随行する皇族・公家等が座る部屋になったでしょう.


7は茶室でしょうが,「七畳」なのは,
記録者が床の一畳を記録し忘れているからだと思います.
また,「でい計」は素直に土壁だったと考えるべきでしょうが,
内藤説のように金泥引のほうが建築として魅力があるでしょう.
8は茶道具のための納戸だと考えます.


10は小規模な集い・会食のための部屋で,
9はその控え室だと考えます.
9の「西二間」は,「御鷹の間」の間との境にある襖に絵が描かれていたと解釈します.


1は中規模の集い・会食のための部屋だと思います.
ひょっとしたら,眺望を楽しむため,
この部屋の採光にも狭間戸ではなく舞良戸が使われていたかもしれません.
(ただし,この場合,障子もあったと考えます.)
そうだとすれば,宴会の余興として眺望だけに使われた部屋かもしれません.


タイトルRe: 安土城天主三階推定復元図
記事No: 142 [関連記事]
投稿日: 2003/01/11(Sat) 11:14
投稿者T.m

寄って集って森嶋さんのご考察を叩くワケでは無いのですが、
森嶋さんの復元案からすると、その外観は層塔型となるのでしょうか?

今日、従来のような望楼型より層塔型への発展を技術的要因とする
見方は改められつつありますが、そこにはやはり「天守の発生」に
起因する観念とその変化が影響していたものと自分は見ています。
望楼型である必然性が薄れたとき、流行のように層塔型に移行して
行ったと。

安土城天主もやはり望楼型であり、それに適した“見栄えの良い”
低減を持った平面であったと思うのですが、そのうえで森嶋さんの
復元案では、二階、三階ともに余剰スペースが多すぎるやに思います。


タイトルRe: 安土城天主三階推定復元図
記事No: 146 [関連記事]
投稿日: 2003/01/11(Sat) 19:06
投稿者森嶋

> 寄って集って森嶋さんのご考察を叩くワケでは無いのですが、

私も私の復元案が完全でないことは認めていますから,
建設的な批判であれば大歓迎です.


> 森嶋さんの復元案からすると、その外観は層塔型となるのでしょうか?

「三階建+屋根裏一階」の御殿に二階建の望楼をのせるのですから,
外観は「望楼型」です.


> 安土城天主もやはり望楼型であり、それに適した“見栄えの良い”
> 低減を持った平面であったと思うのですが、そのうえで森嶋さんの
> 復元案では、二階、三階ともに余剰スペースが多すぎるやに思います。

私は,一階から三階については見映えよりもまず,
居住性を重視したと考えます.

多くの人間が出入りすることを考えれば,
このくらいの余剰スペースがないと不便だと思います.
例えば,三階で宴会をする場合,
宴会に参加する人間だけでなく,
膳を運ぶ人間,能楽・狂言の関係者,警備の人間もいるのですから.


タイトルRe: 安土城天主三階推定復元図
記事No: 144 [関連記事]
投稿日: 2003/01/11(Sat) 12:21
投稿者

御説拝見させていただきました。

貴説において、下階で下記のように書かれておられることを
「構造的にやむをえない場合を除いて」などとおっしゃらず貫徹
し、この階も縁側を付して12間四方とするのも一案と思いますが、
いかがですか。上階の方が風雨は厳しいでしょうから、金碧障壁画が
傷まないでいいし、採光も問題ありませんよ。

>また,金碧障壁画が傷むことを考えると,
>金碧障壁画のある座敷に狭間戸があるのはおかしいと思います.
>構造的にやむをえない場合を除いて,
>できるだけ(狭間戸がある)廊下が座敷の周囲にあるという
>通常の御殿の形式にしたはずです.
>そうすると二階は一階と同じく十二間×十二間になります.