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タイトル安土城天主二階推定平面図 改訂版
記事No: 137 [関連記事]
投稿日: 2003/01/11(Sat) 08:22
投稿者森嶋

安土城天主二階推定平面図 改訂版 画像サイズ: 403×375 (34kB) 二階の改訂版を発表します.一階の改訂版も発表する予定です.

よく考えると,二階の9がバルコニーのようになっていたとすれば,
一階の縁に雨漏りがするでしょう.

それ故,9と外部との境に舞良戸があり,
舞良戸の内側に転落防止のための手摺があったと考えます.
これは一階でも同じです.
同様の例として桂離宮があります.

また,一階・二階の縁には舞良戸だけで障子はなかったでしょう.
室町時代の御殿の推定復元図では,
座敷の周囲の縁に舞良戸・障子を使っていないので,
つまり,座敷のみに舞良戸・障子を使っているので,
形式的に一階・二階の縁に障子は特に必要ないし,
また,舞良戸だけのほうがスッキリすると思います.

そして,一階・二階の舞良戸の外側は,狭間戸・下見板と同じく
黒漆が塗られていたでしょう.
縁に障子がなく舞良戸に黒漆が塗られていたと考えれば,
「或は白色で,日本風に黒漆を塗った窓を備え」とか
「御殿主ハ 悉黒漆也」
という天主外観の印象にも一致するのではないでしょうか.

狭間戸の数は2個増えて24個になります.



> 申しわけありませんが、かってに森嶋さんの復元案を訂正させて
> いただきました。
> 最大の要点は、西の「二段広縁」を重視していることです。

一階の間取は「三畳敷」を除いてスッキリしていると自画自賛していますが,
二階の間取は少しスッキリしていないと感じているので,
他にも推定復元図が可能であると私も思っています.

> 問題の「二段広縁」は、〔10〕の「廿四畳敷之御物置の御なん」
> を広間に用いることを前提にしたものであったろうと考えられる
> ものであり、自分の復元案では西側の面をほぼ窓とし、さらには
> 小壁部分にも採光用の連子窓を想定しています。

「廿四畳敷 物置の御なんと」とはっきりと書かれているのですから,
眺望のために広間として使うという解釈はおかしいのではないでしょうか.
また,「西側の面をほぼ窓と」すると,
狭間戸の数が六十余を大きく超えてしまうのではないでしょうか.



もう一つ二階の推定復元図を発表しておきます.
以前に発表した図と違うところは,
一階の座敷の間取との連続性を重視して,
対面座敷1・2・3が一階と同じ位置にあることです.

秀吉の大坂城本丸表向御殿の対面所の型から,
2は天皇が行幸してきたときの御座で,
信長は1に座り,対面する人間は3に座ったと考えます.

左図は前図よりも間取的にスッキリしていますが,
私は二階は信長専用の対面所で,
天皇と共に対面する場合は,
本丸御殿・天主三階が使われたと考えているので,
前図が左図より機能的に良いと思っています.


タイトルRe: 安土城天主二階推定平面図 改訂版
記事No: 140 [関連記事]
投稿日: 2003/01/11(Sat) 10:08
投稿者T.m

> 「廿四畳敷 物置の御なんと」とはっきりと書かれているのですから,
> 眺望のために広間として使うという解釈はおかしいのではないでしょうか.

日常使用するものなどは、一階の納戸や土蔵に収蔵されていたと
考えられるので、そこに収蔵されたものはまさに、安土移転の際に
持参した「茶道具」であったのではないでしょうか。

信長は、度々「茶道具」の披露を行ったり、計画していることを
前提にみれば、「廿四畳敷 物置の御なんと」は天主における
そのための施設であったものとみます。

> 秀吉の大坂城本丸表向御殿の対面所の型から,
> 2は天皇が行幸してきたときの御座で,
> 信長は1に座り,対面する人間は3に座ったと考えます.
自分の考察でも、両者の間取りには機能的にみてもかなりの
関連を認めており、復元のうえでも重要なファクターであると
考えています。


タイトルRe: 安土城天主二階推定平面図 改訂版
記事No: 145 [関連記事]
投稿日: 2003/01/11(Sat) 18:39
投稿者森嶋

> 日常使用するものなどは、一階の納戸や土蔵に収蔵されていたと
> 考えられるので、そこに収蔵されたものはまさに、安土移転の際に
> 持参した「茶道具」であったのではないでしょうか。
>
> 信長は、度々「茶道具」の披露を行ったり、計画していることを
> 前提にみれば、「廿四畳敷 物置の御なんと」は天主における
> そのための施設であったものとみます。

三階の7が茶室だとすれば部屋の位置から考えて,
私は,三階の8に保管されていた茶道具を9で客に披露した,
と思います.