タイトル | : Re: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由 |
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投稿日 | : 2009/01/05(Mon) 07:01 |
投稿者 | : Tm. |
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
話題を振っておきながら返事が送れすいませんでした。
哲平さん
> 確かに夏の陣と冬の陣の屏風絵では天守が違いすぎますもんね
正直なところ「夏の陣図」のそれは、実物を見たことの無い絵師が、当世様(層塔型)の天守をそれ(豊臣大坂城)風に描いたものであり、雰囲気は伝えている(最上階など)ものの細部までを全面的には信用するわけにはいかない、というのが自論です。
一方の「冬の陣図」は天守北側の腰曲輪部分の付庇を確り描いており、題材的な条件からしても、それを描いた絵師は実物を見たことがあった(御殿障壁画の製作にも参加?)と考えられますし、敢て秀吉の代の姿で描いたというのは首肯し難く思います。
おそらく、秀頼の代に修理、改築(最上階の軒唐破風など)もあったとは思いますが、全くに新築されたとは考えられませんね。
淳也さん
> >名護屋城天守台跡の礎石における特異な柱割
> とは、1.5間幅の柱割りの事でしょうか?
というより、10尺間、9尺間、6尺5寸間が混在するという状況をどのように考えるべきか、これまで7尺間だとばかり思い込んでいたので、それを知ったときには衝撃を受けました。
また、中央に芯柱のものかと思われる方13尺間の礎石が据えられいるのは、その部分が《吹き抜け》にでもなっていたのかとも思わせられます(笑
果たしてそれが、名護屋城特異なものなのか否か興味が持たれるところですが、最近でも三浦正幸氏によって新たな復元図(外観のみ?)が発表されているものの、そうした事実には触れられておらず、また反映されてもいない様ですから悩まされること頻りです。
PS.ディアゴスティーニの『週刊安土城を作る』がよいよ全国発売されますね。佐藤氏の復元案には同意しかねるものの、購入するつもりです。