タイトル | : Re: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由 |
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投稿日 | : 2008/12/31(Wed) 10:27 |
投稿者 | : 淳也 |
URL | : http://blog.goo.ne.jp/asitaka_001 |
Tm.さん哲平さん、こんにちは、
最近は、信長が建立したハ見寺の復元で遊んでまして、
すっかり安土城天主の復元考察が滞っております。
さて、
秀頼が大坂城を再建したという説は、これが初めてではないでしょうか?
考えてみると、
江戸城も、家光までは、代替りごとに天守を建て替えていたので、
秀頼の代で天守を建て替えた可能性は、十分に考えられます。
>名護屋城天守台跡の礎石における特異な柱割
とは、1.5間幅の柱割りの事でしょうか?
たしか、現存の姫路城にもあったように思われます。
天守内部を、御殿(座敷)として使用する場合、
柱割を1間幅に固定してしまうと、
部屋の広さが自由にならないからではないかと・・・。