タイトル | : 城下町の人口 |
記事No | : 439 [関連記事] |
投稿日 | : 2008/03/25(Tue) 18:58 |
投稿者 | : 哲平 |
こんにちわ。
佐藤さんの論文の内容を早く読みたいと思いながら日々を過ごしております哲平です。
手元に何の資料もないまま仕事中にふと思った事を書いてますので毎度ながら見当違いでしたらごめんなさい。
全国の有名なお城を紹介しているDVD(キープ株式会社:日本名城紀行)を先日見ていたところ岐阜城の紹介で岐阜城の城下町の人口は信長時代で8000〜12000人という宣教師の記録がある、と言っており「意外と少ないなぁ」と感じました。
内藤先生の「復元安土城」では確か安土城下町は60000人
どこで読んだか忘れてしまいましたが宣教師の記録では柴田勝家の北の庄は安土の倍の人口
「よみがえる日本の城」で秀吉の名護屋城下町は京都をもしのぐ30万人
と、ありました。
実際信長のお膝元であった岐阜の人口が10000人足らずであったのでしょうか??
またどれくらいの人口があれば大都市だったのでしょうか。
「城下町」と「領土」で意味合いが全く違ってくるのでしょうが何か参考になる数字を知っている人がいたら教えてください。
スペース借りてすみません。