タイトル | : 信長の「焦衣」 |
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投稿日 | : 2008/03/10(Mon) 06:20 |
投稿者 | : Tm. |
亀レスですが、信長の遺体については、江戸時代初頭に林羅山が著した『織田信長譜』(寛永18年・1641)に
興味深い記述見られます。
それに依ると、信長の遺体が見つからず不安がる光秀に対し、齋藤利三が信長の着ていたとみられる
着物の燃え残りを発見したとしてそれを光秀に見せるも、尚その死を不審がったとされます。
実は、某小説のネタ本となっている阿弥陀寺の伝承でも、当初は発見したのがその「焦衣」であったとされ、
それを証しに(遺灰を集め)信長の墓を建てたとされていたようです。
後に火災でその「焦衣」を失ったことで、各地にある信長の墓のなかでの正統性を主張する為に、
例の話が新たに創作されたようです。
「変」から幾分、年月を経て浮かび上がって来た話だけに信憑性に疑問は持たれますが、
阿弥陀寺の墓はかなり早い時期に建てられており、公家の山科言経が度々、墓参しているのも事実で、
利三が発見した「焦衣」を阿弥陀寺の住職が受け取り供養したというのが真相?かも知れません。