こんにちは、
> このサイトを読んでいると少し現実味にかけるかなあ、と思うようになってきました。
あれっ…、このサイトの基本方針は、天守指図の肯定なので、 このように思われたのなら、説明のしかたが悪かったようです。スミマセンm(__)m
ということで吹き抜けについてですが、奈良の寺院の資財帳ならともかく、 これらの種類の拝見記には、建物の全てがもれなく記載されているわけでは無いので、 安土日記に「吹き抜けあり」と書かれていなくても、吹き抜けが無かった証拠にはなりません。
去年、 安土城倒壊!の記録が発見されたので、最近安土城天主の工期日程について考えているのですが、 天正七年一月の段階では、吹き抜け部分は吹き抜けていなかった可能性があります。
というのは、記録による安土城天主は、他の全ての天守建築とは違って、 黒漆塗り金箔張り、飾り金具付きの建築なので、吹き抜け部分の壁や天井の装飾を施工するためには、 吹き抜け全体に渡って、足場を組み立てなければなりません、 足場を撤去すると、それ以後の修正が不可能になるので、内装完成までは足場を撤去できない、
つまり、信長入居の4ヶ月前であるこの時点でも、 吹き抜け内部には、下から上まで足場が組んであった可能性があり、 一見しただけでは、どんな空間か解らなかったので、 記録に残らなかったとも考えられます。
天主の大きさについてですが、 安土城は17×20間と単純にデーターを抜き出していますが、 安土日記の原文を、よく読んで下さい、 「南北へ二十間、東西十七間」と書かれていますよね、 東西については、そのまま十七間と書いているのに、 なぜ南北については「へ」が入っているのでしょうか?考えてみて下さい。
実際の天主台の大きさは、東西・南北共に最大幅十七間の多角形です。
さて、 安土城天主と大坂城天守は一見同じ天守建築のように思っている人が多いのですが、
記録を読めば違いが一目瞭然で、 安土城天主は対面や儀式もできる御殿建築、 大坂城天守は目立つ外観をした倉庫、 という、機能面において大きな違いがあります。
見た目だけが目的で建てる場合、上の2〜3階分位の大きさが同じであれば、 城外から見た大きさはほとんど変わらないので、秀吉にとって見た目さえ同じならば、 天守の建築面積の大きさ比較などどうでも良かったのではないでしょうか?
> 僕は一度も安土城址に行ったことがないので今年中にどこかの連休で行って見たいと思います。天主台ってデカいんでしょうねえ!!
私も実は一度も安土城址に行ったことがないのに、こんなサイトを作っていますが、 行った人の感想では、天主台は意外と小さく見えるようです。
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