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タイトルま中あり
記事No: 409 [関連記事]
投稿日: 2008/02/01(Fri) 14:37
投稿者哲平

スミマセン、いつも拝見させて頂いておりますが初めての投稿です。
かなり素人なもので申し訳ありませんが牛一の天主に関する記述で1階(二重目)の部分に「ま中あり」という記述があるのですが、これは具体的にどういう意味なのか教えてもらってもよろしいですか??

自分はこれが吹き抜けに関するものだとばかりずっと思っていたのですが。「ま中(に穴)あり」と。いかがでしょうか。


タイトルま中=まんなか
記事No: 410 [関連記事]
投稿日: 2008/02/01(Fri) 20:13
投稿者淳也

こんにちは、
あまり更新されないサイトに投稿していただき
ありがとうございます。

> 1階(二重目)の部分に「ま中あり」という記述があるのですが、

これは信長公記の記述ですね。信長公記は安土日記の改訂版なので、
安土日記を見たほうが、文の意味がよくわかります。

安土日記には「高サ十六間々中」(たかさじゅうろっけんまなか)
と書かれていて、太田牛一は、信長公記に改定する際に
「あり」を付け加えている事からして、「あり」の文字は、
語感を整えるために付け加えた言葉で、特に意味はありません。

間中(ま中)についてですが、これは現在一般に言われるところの
「まんなか」であり、当時は「まなか」と表記していました。

つまりこの部分は「(天主の)高さ16間まんなか」
と書かれているわけで、
天主の高さは16.5間ある という意味です。


> 自分はこれが吹き抜けに関するものだとばかりずっと思っていたのですが。「ま中(に穴)あり」と。いかがでしょうか。

歴史研究の際に大切なことは、そのままの資料を読むことです。

(に穴)のような、別の意味を付け加えて読む習慣をつけると、
大胆な理論展開が自由自在にできてしまうので、注意しましょう。


タイトルRe: ま中=まんなか
記事No: 411 [関連記事]
投稿日: 2008/02/02(Sat) 12:12
投稿者哲平

なるほどですね。
確かに勝手な解釈を付け加えるのは良くないですよね。個人的には空想を膨らますのは好きなんですけど。

16間という高さはだいたい32メートルですよね。
全くのずぶの素人ですみません、まなか=まんなか=半で16.5間という意味だったのですね。
私の勝手な解釈ではわざわざ「まん中は高さ32メートル」と書いてあるという事はまん中以外はそうではない、つまり地下1階の石蔵から天主のまん中には高さがある、吹き抜けになっている、と思いこんでしまっていました。この件に関してはすみませんがスルーしてください。

それと、半と言う意味で「まなか」を使っている例が他にあれば教えて頂けると助かります。


タイトルRe: ま中=まんなか
記事No: 412 [関連記事]
投稿日: 2008/02/02(Sat) 18:51
投稿者淳也

> それと、半と言う意味で「まなか」を使っている例が他にあれば教えて頂けると助かります。

信長公記の首巻、上総介殿形儀の事、の中に
「鑓はみじかく候ては悪しく侯はんと仰せられ候て、
 三間柄、三間々中柄などにさせられ」

という部分があります。

あと、表記は「まなか」としていますが、
発音自体は当時も「まんなか」と読んでいたと思います。
古典文学の授業で「なめり」と書かれている部分は
「なんめり」と発音したと、習いませんでしたでしょうか?

>かなり素人なもので

このサイトの作者も、歴史関係を職業にしていない上に、
歴史の専門家でもないという意味では素人ですので、
あまり気にされなくても、良いと思います(^^)。


タイトルRe: ま中=まんなか
記事No: 413 [関連記事]
投稿日: 2008/02/04(Mon) 12:13
投稿者哲平

つまらない質問に丁寧にお答えいただきありがとうございました。

僕としては個人的には内藤説のように吹き抜け、舞台、橋があったら夢があるな、とは思いますが、内藤説の様に天主1階部分が17間×20間もあればものすごく広い床面積になりますよね。

「よみがえる日本の城」シリーズは結構読んでいるのですが、ここの掲示板を見ても秀吉大坂城はサイズ的には17×20よりももう少し小さかったように扱われていますよね(11×12くらい)。これは発掘の結果なのでしょうか?
もし安土城が17間×20間もあれば秀吉はさらにそれを越えるサイズを目指したと思うので、やはり安土城は天主台よりも小さく建てられたのでしょうか。

淳也さんがお暇な時がありましたら意見をお聞かせください。


タイトル秀吉大坂城天守の規模
記事No: 414 [関連記事]
投稿日: 2008/02/04(Mon) 17:24
投稿者Tm.

哲平さん初めまして。
数日前より風邪で伏せっており、本日、やっと回復の兆しが見られたこともあり、淳也さんに代わってお答えしたいと思います。

秀吉大坂城天守の規模が11間×12間とされるのは、その作事に携わり、後に徳川幕府の大工頭となった中井家に伝わった通称「本丸図」にそう記されているからです。

ただし、故・宮上茂隆氏により1間の寸法については7尺間と考えられているものの、数年前の発掘調査では6.5尺間の可能性も指摘されており、最近、発表されている広島大三浦チームの復元図がどうなっているのかは不明です。

ちなみに、下記サイトで大坂城天守および安土城天主の復元模型の制作過程が紹介されていますので、興味があればご覧下さい。
http://312t2castle.at.webry.info/


タイトルRe: 秀吉大坂城天守の規模
記事No: 415 [関連記事]
投稿日: 2008/02/04(Mon) 19:49
投稿者哲平

Tmさん、お返事ありがとうございます。詳しく説明して頂き感激してしまいました。

中井家伝承の「本丸図」ですか、初めて聞きました♪
どんな図なのか見てみたいです。さっそくググって探してみます。

ご紹介のサイト拝見させて頂きましたよ。まだ、チラっと覗いただけなんですが、世の中には凄い人がいるものなんですね。あんなに細かく丁寧に復元模型を作るなんて!!ビックリしました、とても自分には無理な作業です、初めて1時間で気がふれますよ、きっと。

広島大の三浦先生の復元図は見たことがありましたよ。本なんかで紹介される場合もだいたい三浦先生の図が使われていますよね。ただ、大坂夏、冬の陣図屏風を参考にしたと聞いてはいましたがあの屏風絵を見てどこまで正確に復元できるのだろうと疑問には思っていたので「本丸図」には期待したいです。

しかし、11×12間では17×20間よりもかなり小さめですよね。
安土城は17×20間に納まる不等辺七角形なのでしょうが、それでも天下人秀吉が前例である信長を下回るものを作るとは思えないのでやはり信長安土城も11×12間くらいが妥当なのでしょうか。

私の町には小倉城(復元or模擬)がありますがサイズ的にはあれくらいですよね。小倉城の石垣は低いですが層塔型なので初期望楼型の安土城や秀吉大坂城ほもうちょっと小ぶりになるのかなあ、、、

Tmさん長くてすみませんでしたが、また豆知識があれば是非教えてください。安土城、秀吉大坂城に関する文献、構造などあればまだまだたくさん知りたいです!!よろしくお願い致します。


タイトルRe: 秀吉大坂城天守の規模
記事No: 416 [関連記事]
投稿日: 2008/02/04(Mon) 20:43
投稿者Tm.

哲平さんどうも。

>安土城は17×20間に納まる不等辺七角形なのでしょうが、それでも天下人秀吉が前例である信長を下回るものを
 作るとは思えないのでやはり信長安土城も11×12間くらいが妥当なのでしょうか。

安土城天主の規模については、これまでこの掲示板でも色々と議論してきましたが、最近の自分の考えとしては、
先に紹介したサイトの影響もあり、当初は12間四方ほどの規模で設計され、建設段階で雨水処理の問題が発覚し、
後から不等辺多角形の天主台全体を覆う形で庇屋根が架けられたのではないかとも推測しています。


タイトル秀吉大坂城天守の規模
記事No: 417 [関連記事]
投稿日: 2008/02/05(Tue) 00:58
投稿者哲平

Tmさん、いつも的確なお返事いただきましてありがとうございます。
僕としてはやはり安土は吹き抜け付きの壮大なものであって欲しいのですが、このサイトを読んでいると少し現実味にかけるかなあ、と思うようになってきました。

11×12間、または12間四方であった場合は天主台の大きさ、形に疑問が出てきますよね。不等辺七角形である理由にはもともと疑問があった様ですが、七角形にする必要があったのかどうか。

先日書き込みされていた 日ノ本三十之さんの論文の内容が早く知りたいですね。

僕は一度も安土城址に行ったことがないので今年中にどこかの連休で行って見たいと思います。天主台ってデカいんでしょうねえ!!


タイトルRe: 秀吉大坂城天守の規模
記事No: 418 [関連記事]
投稿日: 2008/02/06(Wed) 00:35
投稿者淳也

こんにちは、

> このサイトを読んでいると少し現実味にかけるかなあ、と思うようになってきました。

あれっ…、このサイトの基本方針は、天守指図の肯定なので、
このように思われたのなら、説明のしかたが悪かったようです。スミマセンm(__)m

ということで吹き抜けについてですが、奈良の寺院の資財帳ならともかく、
これらの種類の拝見記には、建物の全てがもれなく記載されているわけでは無いので、
安土日記に「吹き抜けあり」と書かれていなくても、吹き抜けが無かった証拠にはなりません。

去年、
安土城倒壊!の記録が発見されたので、最近安土城天主の工期日程について考えているのですが、
天正七年一月の段階では、吹き抜け部分は吹き抜けていなかった可能性があります。

というのは、記録による安土城天主は、他の全ての天守建築とは違って、
黒漆塗り金箔張り、飾り金具付きの建築なので、吹き抜け部分の壁や天井の装飾を施工するためには、
吹き抜け全体に渡って、足場を組み立てなければなりません、
足場を撤去すると、それ以後の修正が不可能になるので、内装完成までは足場を撤去できない、

つまり、信長入居の4ヶ月前であるこの時点でも、
吹き抜け内部には、下から上まで足場が組んであった可能性があり、
一見しただけでは、どんな空間か解らなかったので、
記録に残らなかったとも考えられます。


天主の大きさについてですが、
安土城は17×20間と単純にデーターを抜き出していますが、
安土日記の原文を、よく読んで下さい、
「南北へ二十間、東西十七間」と書かれていますよね、
東西については、そのまま十七間と書いているのに、
なぜ南北については「へ」が入っているのでしょうか?考えてみて下さい。

実際の天主台の大きさは、東西・南北共に最大幅十七間の多角形です。


さて、
安土城天主と大坂城天守は一見同じ天守建築のように思っている人が多いのですが、

記録を読めば違いが一目瞭然で、
安土城天主は対面や儀式もできる御殿建築、
大坂城天守は目立つ外観をした倉庫、
という、機能面において大きな違いがあります。

見た目だけが目的で建てる場合、上の2〜3階分位の大きさが同じであれば、
城外から見た大きさはほとんど変わらないので、秀吉にとって見た目さえ同じならば、
天守の建築面積の大きさ比較などどうでも良かったのではないでしょうか?


> 僕は一度も安土城址に行ったことがないので今年中にどこかの連休で行って見たいと思います。天主台ってデカいんでしょうねえ!!

私も実は一度も安土城址に行ったことがないのに、こんなサイトを作っていますが、
行った人の感想では、天主台は意外と小さく見えるようです。


タイトル安土城天主台の印象
記事No: 419 [関連記事]
投稿日: 2008/02/06(Wed) 05:38
投稿者Tm.

哲也さん、淳也さん、こんにちは。

> > 僕は一度も安土城址に行ったことがないので今年中にどこかの連休で行って見たいと思います。天主台ってデカいんでしょうねえ!!
>
> 私も実は一度も安土城址に行ったことがないのに、こんなサイトを作っていますが、
> 行った人の感想では、天主台は意外と小さく見えるようです。

実際、安土城天主台は、下から見上げたときには不等辺多角形からくる裾野の広がりもあって大きく感じられるのですが、
石蔵内部に入ってみると、そのギャップ(10間四方ほどの広さしかない)もあり意外と小さく感じられます。

また、石蔵の深さが1.5m前後しかないことも、そう感じさせる一因かも知れません。


タイトルRe: 安土城天主台の印象
記事No: 420 [関連記事]
投稿日: 2008/02/06(Wed) 21:44
投稿者哲平

こんばんわ、哲也ではなくて哲平です(笑)

安土城天主台の復元は確か石蔵部分を中心とした内側が主でしたよね。
だから天主指図などを参考にまだ復元されてない外側を想像しないといけないと思いますが、考えただけでもワクワクしますね。
真ん中に立って宝塔と吹き抜けを想像してみます。まだまだいつ登城するかも予定が立てられずにいますが、、、

秀吉大坂城は大きな倉庫、安土城は御殿、ン、確かにそう言われると単純に比較材料として扱うのが難しくなりますよね。三国無双の大坂城は天主一階の面積よりも、高さ、豪華さ、もしくは縄張りの広さで対抗したって考えると。天主はシンボルでしょうけど城の全てではないですもんね。

僕はあまりにも勉強不足で淳也さん、Tmさんを困らせてしまっているかもですけど、もうちょっと勉強して付いて行けるように頑張ります。