安土城 掲示板
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タイトル工事中の仮御殿
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投稿日: 2007/10/20(Sat) 08:13
投稿者大陸進出

> 工事期間中の仮の御殿とはいえ、信長の住んでいた御殿は、
> 障壁画が描かれた本格的なものだったようなので、
> 室町時代の上流武士の屋敷の定型である楼閣建築(この場合は天主か?)
> が御殿に付属しているのは、ある意味常識かもしれません。

この場合の楼閣建築とは、例えば3代義満北山第の金閣とか、8代義政東山殿の銀閣などの2〜3階建ての舎利殿ですね。
一瞬ドッキリしてしまいました(^^)

>安土山における信長の仮御殿はどこに建てられたのでしょうか?
>石垣工事の関係からいって、主郭部分でないことは確かなのですが、
>伝堀久太郎邸か馬場平あたりでしょうか?

これに関しては、
秋田裕毅著「織田信長と安土城」によると、工事中の仮御殿は御茶屋平(北腰越)にあり、
天主完成後はここを信長専用の御茶屋御殿として使用し、後に秀吉が大坂城で山里曲輪として発展させたのではないかとのことです。理由はこの3つ↓(だったと思います)

1.信長専用を示す「御」が付いていること。
2.仮御殿で茶会を開いた記録があること(∵武門のステイタスシンボルである茶会は滅多な場所では開けない)。
3.伊庭内湖の眺望がいいこと&下街道沿いに佐和山まで見通せること(後に江戸幕府が観音寺山麓に将軍上洛用の伊庭御殿を建設)。


 他にもこの本には、安土城下町に関する様々な新しい仮説が展開されていて、とても刺激的でした。
 例えば1581(天正9)年正月に安土城の北、湖に面した松原町の西に御馬場を築いたと記録にあるが、
当時から松原町は城下のド真ん中にあり、しかも湖から離れているので、ここではなく、伊庭湖に面していた須田地区の松原(御茶屋平の目の前)ではないか?という目からウロコの仮説↓が提示されています(∴安土城下には2つの松原町が存在)。
 
 天正9(1581)年1月15日、安土城での左義長(馬揃え)は、まず小姓衆が先払い(人払い)として完成したばかりの松原馬場へ入場。 
 その後を信長が葦毛の馬に乗って御入場(黒い南蛮笠、描き眉、赤い頬、唐錦の上着、虎皮のズボン(^^))。 
 その後を公家の近衛前久(さきひさ)と伊勢貞景、さらに織田家の武将(信雄・有楽斎・信孝・長益・信澄)が美しい頭巾装束で続いて入場。 
 これらVIPの入場行進が終わった後、10頭・20頭の馬を一組とし馬の後ろに爆竹を点火して早駆けさせ、安土城下へ乗り出した後、再び馬場へ戻ってくるという趣向を凝らし、見物人たちを感嘆させたとあり、
 もし松原馬場が城下のド真ん中にある松原だとこのイベントは成立せず、伊庭湖岸の松原だったとすると、下街道沿いに陣取った見物人が、馬場⇔城下間の早駆けイベントを楽しめるのではないかという内容でした。


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