| > 内藤氏が復元案を作るにあたって天守指図に施した修正は、 > 天守指図を過度に尊重するあまりに?、 > 建築としては変な構造になってしまっている事から
淳也さんのこの言葉のおかげで、内藤昌著「復元安土城」の各階の平面図を重ねて透かして見ているうちに、ついに内藤先生の案の構造的な疑問点を発見しました!!(^^)
北西の、大倉との段差にある2本の柱は、その上階(2階)隅への通し柱となっておらず、いかにも不安定な感じがします。 天守指図ではこの部分は(段差を示す?)直線が引いてあるだけなので、転落防止用の欄干だけが設置されていたと思います。 (→∵もしここに2本の柱が立っていたら、線はちゃんと引いているのに、柱だけ写し忘れるのは不自然だから) そこでこれら2本の柱を南に半間↓&東に1間→ズラしてみました。 こうすれば2階の2段の縁側の隅を2本の通し柱でよりしっかり固定できそうな気がしますがどうでしょうか? |