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タイトル安土行幸と天主
記事No: 376 [関連記事]
投稿日: 2007/09/29(Sat) 17:40
投稿者Tm.

これまで本格的にというか殆んど、信長が山頂の主郭に移る以前の御座所については
議論されてなかったと思われますが、実は重要なことですよね。
その意味でも『兼見卿記』の記述には注目すべきかと思います。

ただ、道筋がだいぶ整備された現在でも山頂に登るのは大変なことで、おそらく
資材の搬入路が確保されたばかりでのそれはかなり困難なことであり、そのような中、
兼見がわざわざ山頂まで登ったとは考え難いのではないでしょうか。
やはり、山麓に設けられたであろう(仮の)御座所でのことだと考えるべきだと思います。

その上でご指摘の天正6年正月の御殿についてですが、自分はそれを山頂部主郭のそれ
であったと考えます。
と言うのも、『信長(公)記』や『津田宗及茶湯日記』における記述には、いよいよ行幸が
実行されたのではないかとされる天正10年のそれに極めて類似するものがあり、従来、
同5年に予定されていたとされる最初の行幸が、実は一年遅れでこの年に行なわれる
予定ではなかったのかと考えているからです。

それと、同年5月の初めに信長が各所に盆石や鉢物を求めていることにも注目されます。
問題の「天主倒壊」はそれから暫らくして後のことで、改めて正月の「天主を始め方々
拝見見申候」という宗及の証言を検討するに、実はこのとき天主は完成に近い状態にあり、
倒壊は誤聞ながら少なからず被害を受け、結果、完成が遅れることになったのではないか
とも考えつつあります。


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