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タイトル狩野永徳展@京都国立博物館(10月16日〜11月18日)
記事No: 367 [関連記事]
投稿日: 2007/09/18(Tue) 20:00
投稿者大陸進出

狩野永徳展@京都国立博物館(10月16日〜11月18日) 画像サイズ: 488×312 (29kB)  安土城の襖絵や障壁画を描いた狩野永徳展が開催されます。

〜信長さま・秀吉さま、ご推奨!!天下をとった絵師、京都に見参〜
http://eitoku.exh.jp

 狩野永徳の動きと力に満ちた繊細で温かみのある筆致は、繊細ではあっても動きや力がなく寒々しい感じの信長の館の復元天主(5・6階)の襖絵とはビミョーに違うと思います。実際の安土城の襖絵は「そうそう、この感じ!この質感!さすがは狩野永徳!」と思わず感嘆の声を上げてしまうほど見事な出来栄えだったはずです。その雰囲気を味わうために、ぜひ実物を見て来たいと思います(大学は歴史のある京都にしたいので、その下見を兼ねて)。

 ただ、永徳は人物や動植物は素晴らしいのですが、建物が苦手のようで、洛中洛外図屏風の上杉本では、内裏や花の御所、お寺の屋根の傾斜があり得ないほど急過ぎ、また金閣や銀閣の高欄が朱塗りとなっていて、実物に忠実でない箇所があります(永徳の祖父、元信が描いた町田本は建物が忠実で、屋根の勾配も美しいです)。安土には京都ほどたくさんの建物はなかったでしょうし、「信長が納得いくまで何度も描き直させ、正親町天皇の所望も無視したほど大切にしていた(by宣教師)」ので多分大丈夫だとは思いますが、安土城之図屏風に描かれている安土城天主が実物と寸分違わない出来であることを祈ります。

 ちなみに、今回の展示会では、
-永徳が描いた信長の肖像↓も展示されるそうです。ちょっとタレ目で志村けんみたいです(^^) 
http://eitoku.exh.jp/highlight.html

 淳也さんは信長の肖像や木像の中で、どれが一番実物に近いと思いますか?

-京都の阿弥陀寺にある信長の木像↓は秀吉が作らせたので信憑性が高いそうです(白黒版)。永徳画のイメージにも合致しています。
http://image.blog.livedoor.jp/marbow_archeo/imgs/b/4/b4a81bc8.jpg
-カラー版(左は信忠の木像)。
http://www.nobunaga-lab.com/labo/07_ibutu/07-03_iseki/image/amidaji-04.jpg
この木像の口元から顎の感じが千原ジュニアにそっくりなので、最近千原ジュニアが気になって仕方ありません(^^) 


 また襖絵や障壁画、欄間の彫刻とともに安土城天主の内装を豪華絢爛にしていた飾り物についても発見してしまいました!

-擬宝珠=「天下橋(3階)」「天上階段(5階⇔6階)」「天主回縁(6階外部)」などに採用。信長専用路を示す。
-吊り灯篭=「天下の中心」宝塔を大切に囲む吹き抜け(地下1階〜3階)に複数採用。
 
 内藤昌先生は、吊り灯篭を純金製の六角形&織田木瓜の家紋入りで気品があって美しいデザインとし、擬宝珠のデザインを工夫し、手で掴める開花型(花びらが垂れ下がり、花の芯が剥き出し)として、5階→6階の階段を登る信長がスムーズに神仏を乗り越え天の主となれるようになっています。何しろ、大道具さんが作る大河ドラマの舞台セットではなく、奥義を極めてその道で天下を取った天下一の職人だけを集めて作った天下城なのですから、当然考え抜かれていたハズです(^^)
 内藤先生の折角の工夫から後退してしまいますが、擬宝珠は開花型よりタマネギ型のほうが格調高く美しいので、例えば、
-天上階段(5階⇔6階)は梯子並みの急階段なので内藤案のように手でシッカリ掴めるような実用重視の開花型でも、
-天下橋(3階)、天主回縁(6階外部)は掴む必要がないので、瀬田の唐橋と同じ美しいタマネギ型の擬宝珠。
という感じのセンスがあればもっとステキです!(^^) 淳也さんのご意見よろしくおねがいします。


タイトル「本能寺の変」の瓦@大津市歴史博物館(10月6日〜11月18日)
記事No: 370 [関連記事]
投稿日: 2007/09/26(Wed) 21:31
投稿者大陸進出

 うちの高校の先生情報ですが、先月発掘された本能寺の変の焼け瓦(軒丸瓦と鬼瓦の2点)が滋賀県の大津市歴史博物館で展示されるそうです!!文化祭シーズンに京都に行く予定ですので、時間があれば足を伸ばしてデジカメ写真をおみやげに撮ってきます!安土はムリかも…

-大津市歴史博物館第44回企画展「戦国の大津−天下統一の夢、坂本城・大津城・膳所城−」
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/kikaku/kikakuten.html#KIKAKU44

 ちなみに本能寺で異変に気付いた信長の第一声は「おのれ光秀め、よかろう!しばし相手して遣わす!」ではなく、なんと「城の介が別心ぞ(信忠の謀反か)?!」だったそうです。最近の京都の父親刺殺事件を思い出しました。自分より一つ年下の女子専門学校生があんな大それた事件を起こしたとは理解に苦しみますが、現代にも通じる複雑な父子関係があったことを窺わせる重たい一言です…

-「本能寺の変」の焼け瓦発見! 旧寺跡で 堀や石垣も
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007080700027&genre=M2&area=K1C


 NHKBSハイビジョンで去年の大河ドラマ「功名が辻」の再放送をやっています!!

-ドラマセレクション「功名が辻」
 2007年9月3日(月)より NHK BShi  毎週月曜〜金曜 17:00-17:45
 ※9月24日(月・祝)・10月4日(木)・10月5日(金)は別番組のため休止いたします。

 もうすぐ安土築城開始(1576)です。
 新築の安土城で「どうじゃ気に入ったか?ここが天下のヘソじゃぁ!」と濃姫に誇らしげに訊く信長(館ひろし)の台詞が印象的でした。

 昨夜は中秋の名月(旧暦八月の十五夜)で、夜空に燦然と輝く月は美しかったです!!
 秋田裕毅著「織田信長と安土城」によると、本丸(行幸)御殿の東にある三の丸に建っていた江雲寺御殿は安土城の月見櫓で、中秋の名月が登る方向(東〜東南)に建てられていたのではないかとこのことで、かつては信長(館ひろし)も濃姫やお市の方、家臣、側室や元服前の子供達とともに豪華で賑やかなお月見をしていたのだと思うと、映画「タイタニック」みたいでちょっぴり悲しい感じもしました。また安土山は桜の名所だそうで、春の花見(田植え)と中秋の名月(収穫祭)は、盆踊り(旧暦七月の十五夜)や大晦日や正月と並んで、城下町と周辺の農村の連帯感を高める重要なイベントだったと思います。
 テレビのニュースでやってましたがドイツのビール祭りが開催中なのも、洋の東西を問わず今が収穫祭のシーズン(実りの秋)ということで、去年の大河ドラマ「功名が辻」での信長(館ひろし)と安土城に興味を持ち始めてはや1年経ち、淳也さんや日ノ本三十之さん(宮元健次ささん?)のおかげでそれまでバラバラだった歴史や建築、宗教、陰陽道(天文学)のことがだんだん繋がってきて楽しいです(^^) 

宮元健次著「神社の系譜 なぜそこにあるのか」(光文社新書)

 を図書館で借りて読みました。京都の鬼門封じ(比叡山延暦寺&日吉大社)修学院離宮-仙洞御所-桂離宮ライン、本願寺東西分立の理由(豊国廟-豊国神社&方広寺-(西)本願寺ラインで豊臣秀吉が神になるのを防ぐために、徳川家康が東本願寺と渉成園で分断した)のくだりはとても面白く、直接安土選地の理由解明の参考になるかどうかは判りませんが、京都、奈良、厳島神社を2倍楽しめる内容でした。修学旅行の前に読んでいたら…と後悔させるおすすめの一冊ですV(^^) 


タイトル狩野永徳展@京都国立博物館(10月16日〜11月18日)
記事No: 388 [関連記事]
投稿日: 2007/10/08(Mon) 17:00
投稿者大陸進出

小澤弘・川嶋将生著「図説・上杉本洛中洛外図屏風を見る」(河出書房新社)

 は解説はもちろん、全ページカラーでとても解りやすくオススメです。
 特に、花の御所の北門には、守護大名にしか許されない赤い毛氈鞍覆(もうせん・くらおおい)を載せた馬を先頭に、管領クラスの要人にしか許されない輿に乗った上杉謙信一行が入る様子が描かれていて、こんな素晴らしい屏風を信長から贈られた上杉謙信が感激して喜んだのがよく解ります。
 この屏風の元々の制作依頼主は、上杉謙信に毛氈鞍覆と白傘袋を差し許した第13代将軍足利義輝で、義輝が暗殺されてしまい、制作代金の回収に困った狩野栄徳が(時代の寵児で天下を取りそうな)信長に売り込み、その出来栄えに感激した信長が買い取って、(越後の龍)上杉謙信への贈り物としたそうです。安土城の襖絵の制作を狩野栄徳に注文するキッカケになったまさに歴史的な屏風で、その実物を見れるのは貴重なチャンスだと思います。

NHKその時歴史が動いた「謙信おそるべし!」
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_04.html#01

鰭板塀…第6代義教と第12代義晴の室町殿(花の御所)の違い
http://hmuseum.doshisha.ac.jp/html/articles/saga2/detail.asp?xml=saga20020823.xml