タイトル | : Re: 安土城に関する新史料 |
記事No | : 359 [関連記事] |
投稿日 | : 2007/09/15(Sat) 22:33 |
投稿者 | : 淳也 |
素早い情報ありがとうございます。
インターネット版にも出てました
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200709150079.html
たしかに微妙な資料ですねえ。
>「東大寺大仏殿尺寸方并牒状奥ニ私之日記在之」
という題名のようですが、
当時は東大寺の大仏殿が、焼け落ちて存在していないので、
存在しない大仏殿の寸法と牒状の記録が、何のために何時造られたのか、
という部分がこれだけでは判断できない事や、(復興計画の物か?)
文の前の部分が
>「堂塔坊舎破却之同アツチ之城・・・」
となっていて、堂塔坊舎とは普通一般に寺院のことなので
堂塔坊舎と安土城との関係がこれだけではいまいちわかりませんね。
信長は5月27日に安土の大水を見るために京都から下向していて、
時期的には、梅雨明け頃の大雨や台風がありがちな頃なので、
安土城に多少の被害があってもおかしくはないのですが、
「信長公記」にはハ見寺の石垣が崩れた件も載っているので、
天主が倒壊するほどの被害があった場合、記述がないのは不自然です。
ただ工期を考えれば、前年の11月に屋上葺き合わせなので、
この頃、外壁の足場を撤去中であった可能性もあり、
撤去中の足場が台風で崩れるのは、現代でもありがちな事ではないかと・・・。