タイトル | : Re: 内藤案について |
記事No | : 355 [関連記事] |
投稿日 | : 2007/08/31(Fri) 20:13 |
投稿者 | : 大陸進出 |
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僕は大きな勘違いをしていました。つまり天守指図≠内藤案ということですね?
天守指図に基づきつつも独自の考証を加えて復元する淳也さん(ステキです!)。
具体的にはどこらへんが変な構造になってしまっているのでしょうか?もし淳也さんが解説済みであればサイトのページを教えてください。
確かに4階小屋の段は写し間違いの可能性大です。5階への階段の傾斜や3階の「松の間」を押し潰し、棚が使えなくなってしまいます!!
今のところ、私にもハッキリ判る範囲で、内藤先生のミス(主に意匠で)は以下の3つです。
1.単なる砦の櫓ではなく、城下町をも備えた「天下城」なのに、全階の外壁に防弾用の黒漆塗り鉄板を貼り付けてしまった。
→確実に「信長も所詮は成り上がりの田舎武将。天下無双の臆病者よ」と笑い者になります。
2.「天下の中心」を示す大切な宝塔を警固する四天王像を取り除いてしまった→地味で味気も素っ気もない宝塔になってしまった。
∵「(天主は)信長自身が迷子になるほど多くの部屋を有していたが、彫像がその目印となる(by宣教師)」
→各部屋入り口の長押(鴨居)や柱、欄間には、5階八角堂内陣の登り龍降り龍のように、それぞれの部屋の用途目的に相応しい神仏・賢人や動植物を選び、浮き(透かし)彫りさせていたのです。ましてや安土城のシンボルである「天下の中心」宝塔(=宇宙の中心「須弥山」)を守る大切な四天王像を省いてはいけません!!(尾張・性海寺の宝塔参照)
3.赤瓦を忘れてしまった→派手好きで自己顕示欲旺盛な信長の「天下城」が、黒壁に青瓦では周囲の景色(まだ見たことはないのですが…)に完全に埋没してしまいます。
∵「遠くからもハッキリ見え、天を突くかのようであった(by宣教師)」に完全に矛盾します。
つまり内藤案のデザインは戦闘用の要塞向きで、全体的に地味で無骨な雰囲気を放っていることが欠点だと思います。それなのに、とってつけたような金箔や赤漆で飾ったので、地味にしたいのか、派手にしたいのか、どっちなんだい?と思わず質問したくなるような、水と熱い油が混ざったかのような激しいチグハグ感です。
さらに、写真で見る「信長の館」の原寸大復元望楼部も、襖や内壁、柱、天井はいいとして、長押(鴨居)の上の欄間は総金箔押しでありながらまるっきり無地で、金箔の鈍い輝きのせいで却って寂しく殺風景になってしまっています!!当然ながらここも全面に、画題を引き立てるための緻密で優雅な障壁画や技巧に凝ったカラフルな透かし彫りで埋め尽くされていたのは間違いありません。
安土城天主「信長の館」
http://www.hottv.ne.jp/~bungei/nobu/tenji/index.html
しかし、それらのデザインさえ直せば既存の案の中では内藤先生のが唯一の「復元案」と呼べるものではないでしょうか。
あくまで宣教師の記述に則り、その意味するところを考えながら、もっと洗練された!もっと豪華絢爛に!をモットーに内藤案を塗り直し、各部屋の長押、欄間や柱に豪華な彫像を彫ってカラフルな顔色を塗っていけば、実際の安土城にどんどん近づいていきます!!
P/S
純也さんは内藤昌先生復元の駿府城天守閣をご存知ですか?
家康(西田敏行)のメタボリック体型に相応しい重厚感溢れる御殿造りの大天守です(最上階の屋根だけが銅板で葺かれ、安土城との類似性を指摘されているそうです)。信長の豪華絢爛ながらスラッとした色白の安土城天主といい、秀吉の「禿げ」鼠漆喰+高台寺蒔絵のような大坂城天守といい、城主の身体的な特徴がそのまま天主(守)閣のシルエットに投影されていてとても面白いです(^^)。