タイトル | : Re: 安土城に関する新史料 |
記事No | : 354 [関連記事] |
投稿日 | : 2007/08/28(Tue) 00:57 |
投稿者 | : 淳也 |
> 桐野氏は、天主の完成時期を通説とは異なる天正6年とみており、
安土日記には「天正五丁丑八月廿四日柱立 同霜月三日屋上葺合」
と 書かれているので、この記録が正しければ、どれほど突貫工事を行っても、
天正6年の正月に天主を完成させるのは無理です。
たぶん天正6年の正月頃の工事は、荒壁の返しが終わって乾燥途中で、
湿度の高い夏の時期に漆塗りが出来るよう、突貫工事で内部の造作が行われている状態だと思います。
>同正月に津田宗及がその内部まで拝見したとお考えのようですが、
>森さんや淳也さんはどのように思われますか?
天正6年1月12日の『津田宗及茶湯日記』では、
天主を始め方々拝見見申候、其後、黄金見せさせられ候はん由成らせられ、
上意候て、たつたつさんの絵の御座敷に相待ち申し候に、かうさくの絵の御座敷にて見申し候、
黄金一万枚ほど見申し候。
と書かれていて、韃靼人?竜田山?や耕作の絵は安土日記による天主の画題には含まれていないので、
黄金一万枚ほど見た座敷やその控の間は天主以外の御殿だと思われます。