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タイトル安土城に関する新史料
記事No: 348 [関連記事]
投稿日: 2007/08/24(Fri) 20:22
投稿者Tm.

お久しぶりです淳也さん。

作家の桐野作人氏より、来月の新聞、雑誌に、安土城に関する新史料についての発表があるとの情報をいただきました。

かの「お城めぐりメーリングリスト」が8月27日(月)をもって休止となるとのことで早急に情報共有の場が必要とされているのですが、この掲示板を紹介してよいものかどうか迷っています。

もし、迷惑だというのであれは控えますがいかがでしょうか。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 349 [関連記事]
投稿日: 2007/08/24(Fri) 23:28
投稿者淳也

Tm.さん こんにちは、

> 作家の桐野作人氏より、来月の新聞、雑誌に、安土城に関する新史料についての発表があるとの情報をいただきました。

なかなか 楽しみですね。
でも、たいていの場合、新資料の発表といっても、
泰山鳴動してなんとか、の故事に違わぬ場合が多いので、
あまり期待していると、あとでがっくり来そうですが・・・。

> かの「お城めぐりメーリングリスト」が8月27日(月)をもって休止となるとのことで早急に情報共有の場が必要とされているのですが、この掲示板を紹介してよいものかどうか迷っています。

ホームページというものは、そもそも世間に公開しているものなので、
迷惑だということは全くありません、紹介やリンクは自由にして下さい。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 350 [関連記事]
投稿日: 2007/08/25(Sat) 06:09
投稿者Tm.

> > 作家の桐野作人氏より、来月の新聞、雑誌に、安土城に関する新史料についての発表があるとの情報をいただきました。
>
> なかなか 楽しみですね。
> でも、たいていの場合、新資料の発表といっても、
> 泰山鳴動してなんとか、の故事に違わぬ場合が多いので、
> あまり期待していると、あとでがっくり来そうですが・・・。

桐野氏いわく、「これまでの安土城の見方が劇的に変わってくると思います。」とのこと。
雑誌のみならず新聞にもということですから、ちょっとしたものであるかとは思われるのですがねぇ。

自分も情報に網を張っておくつもりですが、淳也さんも何かしら情報を得られましたらお教え願えれば幸いです。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 351 [関連記事]
投稿日: 2007/08/26(Sun) 22:08
投稿者

ワクワク。

名古屋の戦災で焼失したという大工岡部氏の伝書が発見されたの
だったり…(笑)。

…というのは措くとして、最近の桐野氏の仕事から推測して、
東大史料編纂所所蔵の複写史料のなかから何か発見があったのかも
知れません。何にしても楽しみですね。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 353 [関連記事]
投稿日: 2007/08/27(Mon) 17:38
投稿者Tm.

お久しぶりです森さん。

雑誌とはやはり「歴史読本」のようですが、桐野氏が言われるほどの大発見であれば、先ず新聞などに一報があってもよさそうなのですがねぇ〜

桐野氏は、天主の完成時期を通説とは異なる天正6年とみており、同正月に津田宗及がその内部まで拝見したとお考えのようですが、森さんや淳也さんはどのように思われますか?

その点も明らかにする史料らしいのですが・・・


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 354 [関連記事]
投稿日: 2007/08/28(Tue) 00:57
投稿者淳也

> 桐野氏は、天主の完成時期を通説とは異なる天正6年とみており、

安土日記には「天正五丁丑八月廿四日柱立 同霜月三日屋上葺合」
と 書かれているので、この記録が正しければ、どれほど突貫工事を行っても、
天正6年の正月に天主を完成させるのは無理です。

たぶん天正6年の正月頃の工事は、荒壁の返しが終わって乾燥途中で、
湿度の高い夏の時期に漆塗りが出来るよう、突貫工事で内部の造作が行われている状態だと思います。

>同正月に津田宗及がその内部まで拝見したとお考えのようですが、
>森さんや淳也さんはどのように思われますか?

天正6年1月12日の『津田宗及茶湯日記』では、
  天主を始め方々拝見見申候、其後、黄金見せさせられ候はん由成らせられ、
  上意候て、たつたつさんの絵の御座敷に相待ち申し候に、かうさくの絵の御座敷にて見申し候、
  黄金一万枚ほど見申し候。

と書かれていて、韃靼人?竜田山?や耕作の絵は安土日記による天主の画題には含まれていないので、
黄金一万枚ほど見た座敷やその控の間は天主以外の御殿だと思われます。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 356 [関連記事]
投稿日: 2007/09/14(Fri) 22:47
投稿者Tm.

先にご紹介させていただいた安土城天主に関する新史料についての新聞記事ですが、明日15日の朝日新聞朝刊の文化面に載る予定だそうです。
何やら、先日の安倍首相辞任により素っ飛ぶ可能性も危惧されたとか・・・

とかく評判の芳しくない朝日新聞ですが、時折、興味の引かれる歴史関係の記事が掲載されるので、安くはない代金を払い取っていた甲斐も、これであろうかと。

先ずは明日の朝が楽しみです。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 357 [関連記事]
投稿日: 2007/09/15(Sat) 07:10
投稿者Tm.

朝日の記事、非常にショッキングなものです。
天正6年の5月に、安土城天主は一度、倒壊していた?

まずは一報まで。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 358 [関連記事]
投稿日: 2007/09/15(Sat) 10:21
投稿者

情報ありがとうございます。早速拝読いたしました。

今回の史料では微妙ですねえ。

個人的には、紙面から窺われる史料の性格から
すると、何らかの建築・土木的事故が安土城内で
起こったことは読み取ってもよいと思うのですが…。

ちなみに城内での「人民死畢」といえば、石曳きで
150人以上が死んだという、『フロイス日本史』の記述が
まず頭に浮かんだ次第です。

もう少し考えてみます。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 360 [関連記事]
投稿日: 2007/09/15(Sat) 22:59
投稿者Tm.

森さんどうも。

今回の件ですが、結論から言えば、森さんもご指摘の如く、何らかの建築・土木的事故が起きた可能性はあり得るのではないかと思っています。
ただそれは、天主本体の倒壊というような大事件ではなく、作業用の足場が崩壊したような事故であったのではないでしょうか。

他の史料にその記録がないのも、外聞を憚り緘口令が布かれていたとすれば一応の説明になるかと思いますし、問題の記録は、工事に携わっていた奈良大工の間から漏れ伝わったのではないかとも考えられます。

牛一も天正10年正月のハ見寺参道の石垣崩壊事件は記録しており、もし本当にそのような大事故があったとすれば、何よりフロイスが黙ってはいないでしょうね。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 362 [関連記事]
投稿日: 2007/09/16(Sun) 07:05
投稿者

おはようございます。

奈良大工云々という細かい部分は保留ですが、ほぼ同意です。

そして結局、信長が「安土大水」の検分を行ったという
「信長公記」の記事とのものが、この「事件」の大要を
物語っているとみていいのではないですかね。

併せて8月の力士1500人興行云々というのも、被災に
伴う地鎮行事となれば面白いのですが…(笑)。

では。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 359 [関連記事]
投稿日: 2007/09/15(Sat) 22:33
投稿者淳也

素早い情報ありがとうございます。

インターネット版にも出てました
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200709150079.html

たしかに微妙な資料ですねえ。

>「東大寺大仏殿尺寸方并牒状奥ニ私之日記在之」
という題名のようですが、

当時は東大寺の大仏殿が、焼け落ちて存在していないので、
存在しない大仏殿の寸法と牒状の記録が、何のために何時造られたのか、
という部分がこれだけでは判断できない事や、(復興計画の物か?)

文の前の部分が
>「堂塔坊舎破却之同アツチ之城・・・」
となっていて、堂塔坊舎とは普通一般に寺院のことなので
堂塔坊舎と安土城との関係がこれだけではいまいちわかりませんね。


信長は5月27日に安土の大水を見るために京都から下向していて、
時期的には、梅雨明け頃の大雨や台風がありがちな頃なので、
安土城に多少の被害があってもおかしくはないのですが、

「信長公記」にはハ見寺の石垣が崩れた件も載っているので、
天主が倒壊するほどの被害があった場合、記述がないのは不自然です。


ただ工期を考えれば、前年の11月に屋上葺き合わせなので、
この頃、外壁の足場を撤去中であった可能性もあり、

撤去中の足場が台風で崩れるのは、現代でもありがちな事ではないかと・・・。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 361 [関連記事]
投稿日: 2007/09/15(Sat) 23:24
投稿者Tm.

淳也さん、投稿が前後してすいません。
どうやら考えるところは同じようですね(笑

桐野さんは、初代と二代目の天主が別の場所に建てられた可能性をも顧慮すべきではと述べられていますが、
それには色々と問題がありそうで、到底、無理でしょうね。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 368 [関連記事]
投稿日: 2007/09/23(Sun) 04:02
投稿者Tm.

> 文の前の部分が
> >「堂塔坊舎破却之同アツチ之城・・・」
> となっていて、堂塔坊舎とは普通一般に寺院のことなので
> 堂塔坊舎と安土城との関係がこれだけではいまいちわかりませんね。

早速、歴読11月号を購入し読みましたが、改めて問題文の全文を見るに、、「同アツチ之天主タヲレ畢」に続く「人民死畢」は、単に安土城の件を指しているのではなく、一連の災害に伴ない多くの死者が出たということを述べているのではないかと思われますが如何でしょう。

その場合、「同アツチ之天主タヲレ畢」のもつ重要性もかなり違ってくるのではないかと考えられ、そのこと自体は日記主にとって然程、身近かつ世間を揺るがすような事件ではなかったが故に、何らかの破損や小規模な事故の誤聞であったものの、結果として訂正に至らなかったのではないかと思われます。


タイトルRe: 安土城に関する新史料
記事No: 369 [関連記事]
投稿日: 2007/09/25(Tue) 00:13
投稿者淳也

こんにちは、
さっそく歴読11月号を購入して読みましたが、
新聞記事の前の部分の「堂塔坊舎破却也」というのは
園城寺(三井寺)の被害のようです。

>「同アツチ之天主タヲレ畢」に続くは、単に安土城の件を指しているのではなく、
>一連の災害に伴ない多くの死者が出たということを述べているのでは
>ないかと思われますが如何でしょう。

私も、Tm.さんの感想と同じで、
記録は4月から一続きになっていて(つまり後からまとめて書かれている)
「一、」から始まる文は、興福寺山内や奈良の被害、
どこぞの茶室・三井寺・安土城の被害が書かれた後、
「人民死畢」で文が終わっている事からして、

「人民死畢」とは、安土城のみで人々が死んだわけではなく、
4月から5月にかけての豪雨災害により人々が死んだと解釈するのが自然です。

つまり、ニュースの記事の訳文の、
(安土城の天主が倒れ、人々が死んだ)というのは誤訳で、

「(各地の被害の樣子を記述)・・・・・・・・・・・・・・・・
また園城寺の山が崩れて堂塔坊舎が破壊され、安土城の天主も倒れた。
(この災害により、多くの)人々が死んだ。」

と解釈すべきだと思われます。

また、園城寺の堂塔坊舎破却といっても、楼門は現存していて、
金堂も比叡山西塔の転法輪堂として現存しているので、
園城寺全山が破壊されるほどの被害ではなかったと思われ、

安土城においても
天主全体の崩壊と解釈しなくても良いような気がします。
(工事用の足場が倒れても、噂話レベルでは天主が倒れたと言えます。)