安土城 掲示板
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タイトルRe: 蛇石
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投稿日: 2007/08/11(Sat) 11:10
投稿者大陸進出

Re: 蛇石 画像サイズ: 210×265 (20kB) >私の見解としては、蛇石は、石倉の補強と地鎮のため以外にも非常に重要な意味があって安土城天主で使われていると思っているのですが、
>これに関しては、現地で資料集めなど少し調査をする必要があるので、UPできるまでには、まだそうとうかかりそうです。


 たとえば、須弥山に蛇が住んで守っていたというような仏教的な場面があり、それに倣って安土城を守ってもらおうとしたということは考えられないでしょうか?
 山頂に信長が住み、家臣(四天王)を山腹に住まわせているので、淳也さんの言うとおり、安土山を須弥山に見立てたのはほぼ確実です。九山八海(多くの山や多くの海・湖)に囲まれているからです。
 まず日本列島そのものが、四方を海洋(天然のお堀)に囲まれ、その中心に琵琶湖(内堀1)が位置し、その中心の大中湖(内堀2)の、さらに中心の伊庭内湖(内堀3)に小さな山が浮かんでいるの光景を見つけた時の信長の「4重の堀(海)に囲まれ、そこに山が浮かんでおるではないか!あれが須弥山じゃ!日本の中心じゃぁ〜!ついに見つけたぞ!1、2の3、ダァ〜ッ!!」という感動が伝わってくる気がします(猪木!)。安土城の防御性が高くないのは、すでに4重もの堀に囲まれておるわ!と考えたからかもしれないですね(笑)。
 
 そしてその山頂に三角点のように天下の中心を示す宝塔を置き、それを大切に取り囲むように大聖堂構造を取り入れた日本建築で天下城を築き、天下を安堵〔安土(する)者〕するつもりで「安土」と名付け、天下布武へのモチベーションをさらに高めて、心置きなく戦いに邁進できたのではないでしょうか。日本橋に日本国道路元標(基準点)がありますが、あの感覚に近いと思います。
 また、内藤昌先生が天主指図の宝塔を復元したときに参考にした尾張・性海寺の宝塔は、四天王が取り囲んでいますから、たぶん安土城の宝塔も同様だったのではないでしょうか。

 安土に帰城するたびに、四天王が守る宝塔前の祈祷室(4畳→5畳半)で一人静かに「この宝塔の下が日本のヘソじゃ!中心なんじゃ〜ぁっ!上杉謙信め、須弥山に住むわし(帝釈天)は、うぬが帰依する毘沙門天の主君である!正義は我にあり!」と、天下の中心で愛を叫んでいたに間違いありません(笑)。もしかすると宝塔の真下に埋められていた甕は仏舎利ではなく、日本列島の「おヘソ」であることを表していたのかもしれません(笑)。

 また、安土城で信長が盛んに相撲大会を催したというのは東西の中心を象徴していて、「この安土こそが東と西の中心である!」と意識していた表れではないでしょうか?「東〜、○ノ山〜!西〜、○ノ海〜!」という行司の口上は、両国国技館ではなく、信長の安土城でこそ意味を持つのではないでしょうか(笑)。


>建物がボロくても司教がいれば大聖堂であり、建物が立派でも司教がいなければ、ただの教会(聖堂)です、
>仏教でいうところの、寺と本山の違いみたいなものです。

 なるほど!
 安土城が大聖堂(総本山)だったということは、同じく湖岸に作られた長浜城・坂本城・大溝城は(回廊のない)教会(ミニ安土城)だった可能性もあるということかもしれませんね!(笑)どんどん夢が膨らんでいきます!ハマりすぎてヤバイです(笑)

 来年見事現役合格の暁には、ぜひ淳也さんと観音寺山に登り、木版画を参考に狩野永徳が安土城下をスケッチしたであろうポイント(信長も立った?)を探してみたいと思います!よろしくお願いします。


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