安土城 掲示板
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タイトルRe: 雑感
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投稿日: 2005/10/21(Fri) 21:01
投稿者

どうもです。

> あの復元案を見て最初に感じたのは「この城を現実に見たことがある人が
> 岡山城天守を見て『安土城を模した』と感じるだろうか?」ということです。

というよりも、そもそも岡山城における安土城模倣説というのは、
岡山藩士八田篤則が自著「岡山私考」(正徳元〜5年)に「天守は元亀四年
江州安土の城に初り申候」、これを参考にしたと思しき同藩士土肥経平が
軍記物語「備前軍記」(安永5年)に「近年安土の城に初て出来し天守と
いふことを、爰にもあげ造られ」、更に同藩士木畑道夫による「岡山城誌」
(明治24年)が「安土城に建築ありし制に擬して天守閣を設く」とているの
ですが、いずれも一般論と記しているものが、いつの間にか「岡山城天守は
安土城天主の建築およびその様式を模している」となってしまっているのです。

この一点で、岡山城のデザインそのものを安土城のそれとして考える
のは問題があるということが分かります。あくまで史料に則した両者の関係は、
城郭の中心的建築である「天守(主)」というありかたについて共通する、
という程度のものなのです(技術としての系譜的関係は否定できませんが)。

> どうも学術研究の基本である「真実に迫る」ことよりも「史料の整合性が
> 最も高い結論」を優先されているような印象です。正直がっかりしました。

「史料の整合性」も、根本史料といえる「安土日記」「信長公記」の記載
との比較から言えば少しわかりにくいところがあります。今後の詳しい解説が
待たれますね。

> 他の方々の反応も冷めた感じがするのは、俎上に上げるに値しないという
> 評価なのでしょうか?

拠るべき情報が短い学会報告の梗概(あらすじ)しかありませんし、もともと
少ない史料のなかでの復元案ですから、「反論しようがない」というのが
現状のように感じます。

ところで近刊の『城郭史研究』25号に小論を掲載いただく予定です。
先の拙稿から4年を隔てていくつかの反省に基づき新知見を加えることが
できました。機会がありましたら感想をいただけますと幸いです。


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