タイトル | : 安土選定の理由 |
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投稿日 | : 2005/05/04(Wed) 11:02 |
投稿者 | : 森嶋 |
はじめまして.
日ノ本さんの御考察に対して,
私の考えを言わせていただきます.
まず「信長が安土山に居城を築造した理由」についてです.
この理由は次の三つだと私は考えます.
理由1.交通の要衝であり,居住に不便でない.
理由2.山頂からの眺望が優れている.
理由3.すぐ隣に観音寺城がある.
理由1は安土に限定されませんが,
居城地選定の必要最低限の条件なので書いておきます.
東京国立博物館で伊能図の展覧会があり,見学したことがあります.
江戸時代後期の安土の地形と信長時代の地形はほぼ同じでしょう.
伊能図を見て思ったことは,
当時の安土は人工的に造ったのではないかと思われるほどの景勝地であり,
このような地形は日本全国に二つとないということです.
現在の山頂からの眺望は他の山とさほど違いませんが,
御存知のとおり,当時の安土山の三方は湖に囲まれており,
現在の山頂からの眺望とは全く異なっていて,
当時の眺望は琵琶湖随一と言ってよい,
水墨山水画の『瀟湘臥遊図巻』や雪舟『天橋立図』のような,
すばらしい景色だったと思われます.
天主一階の書院には,遠寺晩鐘の水墨画があったそうですが,
こういう風景を見たかったことも,
総見寺を安土山に建設した理由であり,
信長が景色をかなり意識して安土城を設計したことを示していると思います.
平和な時代であれば理由1・理由2だけで十分ですが,
敵に攻撃されたときに防御できるかも,
当時の信長にとって重要な問題です.
日ノ本さんはすぐ隣に観音寺城があることを否定的にとらえておられるようですが,
私はむしろ観音寺城の存在が安土選定の大きな理由だと考えます.
安土山の構造から考えて,
安土城は日常生活の安全が確保されるのであれば十分だと信長は考えていて,
安土城で篭城して戦うことを考えていなかったはずです.
発掘調査の結果によると,
安土山の大手道は幅が広く直線的であり,
山麓の大手門は100メートルに門が4つもあるという,
他の城では考えられないような防御性が低い構造となっています.
また,日常の登城ルートであったと考えられている総見寺ルートも登るのに困難ではなく,
これといった防衛施設もなく主郭部に簡単に到達します.
観音寺城は戦国日本有数の山城であり,
敵が攻めてきたという情報が入ったら,
信長は安土城ではなく観音寺城に篭城するつもりだったでしょう.
岐阜城は山頂の要塞と山麓の居館で構成されていましたが,
安土城と観音寺城も同様の関係,
つまり,安土城が山麓の居館であり観音寺城が山頂の要塞に相当すると考えます.