| > 内藤氏復元案の天守閣に近い、天守閣が建っていたと考えます。 > つまり、天守台石垣天端形状に対応した天守閣ガ建っていたと想像します。
天主台の全面に天主本体が建てられていたとすると、各階とも記録されている部屋 の合計床面積以上の平面規模となってしまい、身舎の周囲にただっ広い入り側を巡らすか、 記録にはない新たな部屋を想定するしかないものと思われますが、その点について 日ノ本さんはどのようにお考えになられるのでしょうか? 果たして「吹き抜け」がその答えになるのか、後代の天守との関係において証明できるのかという点で 疑問なのですが。
左図は以前も掲載させていただきましたが、「安土山御天主之次第」に基づき考察 したものであり、 これを天主台の形状に合わせることも可能ですが矛盾する点もいくつか生じてしまいます。
> 理由2 > 上に整形の天守閣を載せるのでしたら、100歩譲って、変形多角形の石垣の外郭をつくり修さなかったとしても、 > 天守閣の変形石倉、整形の天守閣に不都合のないよう、石倉、を整形な正方形か長方形平面にするよう、 > 石垣を追加する方法も可能です。 > 内側を壊して手直しするより合理的です。 > 私の考えは、天守閣の石垣の直上階が、石垣の天端の形態に準じた変形多角形でも、それを無視した整形の長方形平面であろうと、 > 整形の石倉が可能で、構造上不都合なく石工も容易いと言うことです。 > Tmさん、これに対しては、整形天守閣を主張する人たちは、何か、書いておられますか?
繰り返しになりますが、「整形天守閣案」において不等辺多角形の石倉との関係は 避けては通れない問題ですが、それを不用意に正方形に復元(改竄)した某氏の案は別として、 これまでそのことに論及されたものは拝見していません。
それゆえ、石蔵自体の性格と耐久性への配慮という自分の考えを述べさせていただきました。
> この石積み技術は実に正確です。高度な築造技術ではないでしょうか。 > だから、石垣の形態は、偶然的な形態ではないと判断しているのです。 > 何より、その成している角度が、私の論のよりどころです。
自分も決して石工たちの技術力を侮っているわけではありません。 しかしそのうえで、天主一つをとっても安土城は未曾有の建築であり、 様々な相違工夫がなされたものと思います。
> 安土城は、天下城として、ふさわしい位置場所であると確信し選ばれた地です。 > その選択の根拠を、意味を天守閣の形態でも表したのです。 > 建設場所安土の意味、その表象として天守台、天守閣は作られたが、結論です。 > > > 肝心なことを書いていないので、いらいらさせていると思いますが、公表まで > お待ちください。 > 天守台の形態が、天下城の地、それを示しているのです。 > > いままでの繰り返しですいません。
日ノ本さんのご研究が発表され、どのような反響を呼ぶのかを楽しみにしております。 |