安土城 掲示板
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タイトルRe: 天守台石垣天端形状と天守郭の形状(下層階)
記事No: 257 [関連記事]
投稿日: 2005/04/29(Fri) 18:21
投稿者Tm.

> しかし、天守台に、普通の住宅なら、犬走りというような余地を充分設けて築くことは、大量の横殴りの雨水排水対策が必要で現実的ではありません、
> 天守台(郭)石垣形状を無視して、特に、石垣の内側に天守が築かれるとというお考えは、以上の事からもありえないとおもいます。
>
> 勿論、Tmさんのようなことは、以下のようにすれば可能です、
> 石垣とその余地のためにのみ屋根、庇を作るのです。

日ノ本さんが否定されている「犬走りというような余地」を持っていた天守ですが、
実例して会津若松城のそれがあり、それは秀吉の大坂城に倣ったものではないかとも
言われていますが(宮上氏以外にも)いかがでしょう。
その秀吉は信長の安土城に倣ったのではないでしょうか?
おそらく、日ノ本さんがご指摘のような排水対策(雨落ちの排水等)もある程度は考え
施されていたものと思います。

ただし安土城天主が完成後三年ほどで失われたのに対し、その後三十年ほど存在した
大坂城天守ではやはりその問題が深刻化したとみえ、日ノ本さんがご指摘のように
庇を以って腰曲輪を覆っているようです(『冬の陣図屏風』他)。
しかしながら、いかに当時一流の技術者を動員して建立されたとはいえ、安土城天主は
大型天守の先駆けであり建築としては完成されたものではなく「試作品」であって、
なにより技術者の知恵以上に信長の嗜好が優先された結果、「無理」の多い建築でも
あったと自分は考えます。

また、天守台より平面規模の小さい天守の実例としては淀城天守があり、駿府城天守も
巨大な天守台の「石蔵」の中に建てられていたようですね。
ある意味、姫路城天守のような連立式天守群も天守郭に建てられたものと言えそうですし、
高知城本丸などは自分の主張する安土城天主郭のそれに近いと思っています。

なお最近自分は、佐藤大規氏が当初、懸造りを想定してた如く、天主台外辺の一部に
懸造りの回廊=多聞櫓のようなものが建てられていたのではないかとも考えています。


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