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タイトル佐藤大規氏の復元案について 1
記事No: 251 [関連記事]
投稿日: 2005/04/25(Mon) 20:30
投稿者Tm.

佐藤大規氏の復元案について 1 画像サイズ: 725×727 (19kB) 森嶋さんのお教えにより佐藤大規氏の小論を拝見することができました。

> 電子書籍(CD-ROM)で閲覧できます.
> ただし,印刷はできませんから,
> 必要であれば,ノートなどに筆写しなければなりません.
> (私は筆写していません.)

とりあえず筆写してきたうちの一階平面を掲載させていただきます。

朱線は天主台上面を表しており、佐藤氏は「安土山御天主之次第」に記された
「北南へ廿間、東西へ十七間。」という規模を採用し、はみ出す部分を「懸け造り」であった
とされています。
ただし三浦正幸・著『城のつくり方図典』に掲載された立・断面図をみると、その考えを捨て、
不整形の天主台上面に収る形に改めるとともに、身舎部を北東へ一間ずらす等の変更が
なされているようです。

詳細は正式な発表を待たねばならないと思われますが、気になるのは「6間×10間」(※
南西角を欠く)もの広さを持つ「北之方御土蔵」であり、修正案では若干狭められているとは
思われるものの、その異様さは否めないでしょう。
また外壁と身舎部の間隔が広すぎるのも採光の上で疑問がありそうです。

同案については故宮上氏のそれを批判し「部屋の配置を正した」との解説(前書)があるものの、
図を見ても判るように後半の部屋の配置が記録の順番と著しく異なり、記録にはない床(1および
5に)を設定することにより部屋の広さの辻褄合わせも行われていることが指摘できます。

少なくとも一階については宮上氏の復元案(※北側に一間広げて「12間四方」とすべきだと思います。)
のほうが無難な納まりを見せていると思われます。


タイトル佐藤大規氏の復元案について 2
記事No: 252 [関連記事]
投稿日: 2005/04/27(Wed) 11:04
投稿者Tm.

佐藤大規氏の復元案について 2 画像サイズ: 447×527 (10kB) 続いて二階平面です。

森嶋さんもご指摘のように、西王母の描かれていた部屋(8)と二十四畳敷の納戸(10)との間に
記録され西側にあったと考えられる二段の広縁を、冒頭に記録されていた(1)〜(4)のある
南側(9)に想定しているのは、西王母の描かれていた部屋(8)の採光を考慮してというのが佐藤氏
の説明ですが、恣意的な解釈であることは否めません。

二階もまた一階同様に規模・形状とも変更されているようなので、あるいは修正、変更されて
いるかもしれません。


タイトル佐藤大規氏の復元案について 3
記事No: 254 [関連記事]
投稿日: 2005/04/28(Thu) 18:40
投稿者Tm.

佐藤大規氏の復元案について 3 画像サイズ: 451×390 (8kB) 残る三階平面です。

そつなく纏められていますが、『城のつくり方図典』に掲載された立・断面図をみると、
東西の縁を切り取り規模が縮小(10間×10間か)されているようです。

なお残る上部の階については宮上氏の案と同じであるとされています。


タイトルRe: 佐藤大規氏の復元案について 1
記事No: 259 [関連記事]
投稿日: 2005/04/29(Fri) 21:18
投稿者森嶋

佐藤氏の復元案の掲載ごくろうさまです.

> 朱線は天主台上面を表しており、佐藤氏は「安土山御天主之次第」に記された
> 「北南へ廿間、東西へ十七間。」という規模を採用し、はみ出す部分を「懸け造り」であった
> とされています。
> ただし三浦正幸・著『城のつくり方図典』に掲載された立・断面図をみると、その考えを捨て、
> 不整形の天主台上面に収る形に改めるとともに、身舎部を北東へ一間ずらす等の変更が
> なされているようです。

Tmさんが指摘されるまで気づかなかったのですが,
たしかに,この復元案と『城のつくり方図典』の復元案は違いますね(笑)
おそらく学会発表後,多くの批判があったので,
かなり改変したのでしょう.