タイトル | : Re: 八角形と安土城の占地 |
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投稿日 | : 2005/04/23(Sat) 19:31 |
投稿者 | : Tm. |
お久しぶりです純也さん。
純也さんの「不等辺八角形」の理由に対する説明は
実際の計画が、不等辺八角形になったのは、信長の要求が、「正八角形につくれ」ではなく、
八角形に、ということであったために、大工が施工のしやすい、長方形平面を少しずらす形で、
不等辺八角形に、つくったからであると思われます。
とのことですが、苦しさは否めないと思います。
もし信長が八角形を求めたとすれば、それはむしろ「正八角形につくれ」でしょう。「とにかく八角形につくれ」
であったとは正直なところ考えづらいものです。縦しんばそうであったとすれば、関係者はもっと正八角形に
近い形状に成るよう努力したでしょうし、少なくとも石蔵は正八角形であってもよかったハズです。
そのうえ石工が大工の施工のし易さを配慮して石垣を積んだとすれば、「天守指図」の地階の間取りが
矩形の組み合わせである以上、少なくとも石蔵もそれに即した平面に造成されたハズでしょう。
純也さんの説明は、計らずも「天守指図」批判の要素をも含んでいるかと存じます。
手前味噌になりますが、やはり安土城天主台(郭)の「不等辺八角形or七角形(実は六角形か)」は
地山の制約を受けた上で対辺の平行性の確保を目差した結果であったと考えるべきだと思います。