安土城 掲示板
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タイトルRe: 【天下城】の佐々木譲氏に送ったメールです。
記事No: 226 [関連記事]
投稿日: 2005/04/18(Mon) 10:56
投稿者Tm.

日ノ本三十之さん、はじめまして。

> 以上の内容での
> 何故、天主台が、不整形八角形なのか、
> 何故、安土に天下城を築いたのか、
> この二つの疑問に、明快な答えを、わたしは、出せます。

> 実は、私の趣味の建築の研究の副産物として、これらは解明したことですが、
> 今年中に、日本建築学会他にて、発表しますので、

とのことなので楽しみに待たせていただきたいと思いますが、佐藤大規氏による復元案の発表もあり
現時点で幾つかの質疑を提示させていただきたいと思います。

1)基本的なことなのですが、日ノ本三十之さんは「天守指図」支持派なのでしょうか?

2)次に天主台の形状についてですが、今日一般には「不等辺八角形」と紹介されることが多いものの、
 「天守指図」が紹介される以前には「不等辺七角形」というのが昭和15年の調査報告書の記述にあり、
 その後の論文等そして読売新聞滋賀版に掲載された「安土城 〜信長の夢〜」でもそのように記されているように
 考古学的認識ではないかと思いますが如何でしょう?

 確かに天主台の上面一杯に本体を建てようとすれば入り口部分の関係で「不等辺八角形」にはなるようですが、
 基本はあくまで「不等辺七角形」であり、その上、北東角は虎口との関係での隅切りであったとことはその部分に
 対応する石蔵内辺を見れば明らかであり、基本は「(不等辺)六角形」ではなかったのかとすら思います。

3)上記のことから、日ノ本三十之さんご指摘の「正四辺形の内接不整形」はその通りであったと思われますが、
 「不整形」はあくまで地形の都合による地取り=縄張り先行の結果と考えます。
 当然のことながらその築造に当たっては基本となる天主本体(身舎部?)の規模の提示があったとは思いますが、
 施工に当たっては石工の考えが専行し、その上で大工はそれに合わせる形で本体を建てたものと思います。

 その場合、天主本体も「不整形」に建てられた可能性が高いように思われるかも知れませんが、必要最小限
 に止めたり「正整形」に建てられた可能性も否定できないと思いますが日ノ本三十之さんは如何にお考えに
 なられますか。

4)日ノ本三十之さんは淳也 さんの「安土選(占)地」理由にやや否定的?なようですが、
> 竹生島のほぼ真南ということで、真南ではありませんし、、、、平行四辺形も精度が甘いようですし、、、
 というのは一寸瑣末的な指摘かと存知ます。
 
 その上で信長がより高地にある観音寺城ではなく眼下に見下ろされる安土に「天下城」を築いた理由ですが、
 自分はむしろその点にこそ理由の一つがあったと考えます。
 それは即ち、安土城が「見られることを意識していた城」であるからに他ならないからでしょう。

 「山水画に見られるような絵画世界の具現化」
 それも信長の構想の中にあったものと考えます(小林千草・千草子『原本「信長記」の世界』他)。


以上の中でも2)および3)は「(不等辺)八角形」ということ自体に疑問を呈するものであり、それは淳也 さん御説にも
関わることなので日ノ本三十之さんのお考えを伺えれば幸いです。


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