タイトル | : 【天下城】の佐々木譲氏に送ったメールです。 |
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投稿日 | : 2005/04/15(Fri) 03:02 |
投稿者 | : |
はじめまして、日ノ本三十之(本名を崩して使ってます)です。私は、建築士です。
安土城関連のサイトをサーフィンしましたら、佐々木さんのサイトに行き当たりました。
佐々木さんのいう、
【わざわざ不整形八角形の建物を建てることの不可解
最初から1階部分を不整形八角形という、
工事のしにくい、ふしぎな建物として構想していたことになる。
なぜそんなかたちの建物をわざわざ造らねばならないか。】
不整形八角形の天主台は、いわゆる設計図どうりに築かれたのです。
その形態に建てなければいけない理由があったのです。
意図があっての形態なんです。
安土城の天主台石垣は、完全調査は未了のようですが、内部の石倉は、安土城郭研究所によって、
実測調査されております。天守台は、不整形八角形ではありますが、八辺のうち、長辺の四辺、各二辺毎は、平行で、正確な方位性をもって築かれています。また、これらは、正四辺形の内接不整形八角形である
ことが、意図的な形態であることを示しています。
不整形八角形は、当初から、佐々木さんが考察されているとうり、
石工が、未熟なためではないのです。また、
何故なら、
天主台は、不整形の狭小な、勾配のあるがけっぷちに建てられているわけでもないですし、
天主台の周囲には、余裕があります。
正確に、正四辺形の台を築くのは、当時の技術力でも一番簡単な事です。
たとえば、基部が、正四辺形で、技術不足のため上部が、少し崩れた四辺形という
程度では、当然ありませんから、、、
技術、うんぬんの問題で述べる次元の解説外の事です。
佐々木さん自身が、自論の一部に納得されていないはずです。
【天主のその規模、かたちについて、石積み職人衆は事前に建築プランを熟知していた。
そのうえで、天主台の石を積み、必要な場所に礎石を埋めていったのである。】
は正しいのです。
ところで、
佐々木さんは、信長が、自分の築いた安土城が、下方に見下されるのを良しとして、安土の倍近くの高さのある、また大規模な、隣接の観音寺城の再利用を図らず、何故、ぞの出丸、支城的である地に、天下城を築いたか、明快な答えを出すことができるでしょうか、
以上の内容での
何故、天主台が、不整形八角形なのか、
何故、安土に天下城を築いたのか、
この二つの疑問に、明快な答えを、わたしは、出せます。
実は、私の趣味の建築の研究の副産物として、これらは解明したことですが、
今年中に、日本建築学会他にて、発表しますので、
その際には、ぜひ、一報しますので、聴きにおいでくだされば幸いです。
日ノ本三十之
このサイトも、興味深く見させていただきました。