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タイトル新・安土城天主三階平面推定復元図
記事No: 207 [関連記事]
投稿日: 2005/04/01(Fri) 23:57
投稿者森嶋

新・安土城天主三階平面推定復元図 画像サイズ: 415×410 (25kB) 1 西十二間ニ岩ニ色々の木を被遊則岩之間と申候

2 次西八畳敷ニ龍虎之戦有
3 南十二間 竹之色々被遊竹間と申候
4 次十二間松計を色々被遊候

5 東八畳敷 桐ニ鳳凰
6 次八畳敷 きよゆう耳をあらへは そうほ 牛を牽き帰る所 両人之出たる古郷之体

7 次御小座敷七畳敷でい計也 御絵ハなし
8 北十二畳敷ニ御絵ハなし

9 次十二畳敷 此内 西二間之所ニてまりの木を被遊候
10 次八畳敷 庭子之景気也 御鷹の間と申也


1は展望室であり,御殿で言うと,
庭の池に面した泉殿のような部屋だと思います.
また「武者隠」としても使われたと考えます.


「2・3・4」が一つのセットで,安土城の「大広間」だと考えます.
対面の儀式のための御殿は複数あるのが普通ですから,安土城も同様だったと思います.

秀吉大坂城では,
「3間×4間・3間×3間・3間×4間」の3部屋を一つにして対面の儀式に使っていたようです.
「2・3・4」は秀吉大坂城の対面所の規模とそんなに違いはありませんから,
安土城では,これらの部屋を対面の儀式に使っていたと考えます.

2と3の境,3と4の境(もしかしたら3・4と南の縁の境)には
襖などの建具はなかったでしょう.

故宮上氏は,「4・10」と一つのセットとして考え,
10が信長の御座であるとしています.
しかし,10の障壁画の鷹の絵は,
二条城二の丸御殿の鷹の絵のような,
観る者を圧倒する迫力のある絵ではなく,
庭の籠で鷹を飼う様子の穏やかな絵ですから,
大きな部屋に対する主室の画題としては不適だと思います.
また,採光の点からもこの解釈はおかしいでしょう.
言うまでもなく龍は皇帝の象徴であり,
2の龍虎の絵がある部屋こそ,
三階の「大広間」の上段だと考えます.

また,後の大広間が能の客席として使われたように,
4の松が描かれた部屋は能などの舞台に使われた可能性が高いと推測します.
室町時代では舞台に使われる部屋を「舞の十二間」と言ったそうですが,
4は「舞の十二間」そのものだと思います.


「5・6」は天皇が安土に行幸したときだけ使われる部屋で,
5と6の境にも襖などの建具はなかったと思います.

安土城大手門の発掘調査から,
安土城は天皇の行幸を非常に強く意識して設計されたことが解ります.
それ故,天主にも当然,天皇の御座があったはずで,
それは天皇の象徴である鳳凰の絵がある5以外ありえないでしょう.
そして,6は天皇を接待するときの信長の御座で,
この部屋の画題はそれにふさわしいでしょう.

ただし,儀式のための御殿は本丸にありますから,
5・6を儀式に使う予定はなく,
あくまで天主見学のときの天皇の休憩所だと思います.


7は茶室でしょうが,「七畳」なのは,
記録者が床の一畳を記録し忘れているからだと思います.
また,「でい計」は素直に土壁だったと考えるべきでしょうが,
内藤説のように金泥引のほうが建築として魅力があるでしょう.
8は茶道具のための納戸だと考えます.

10は小規模な集い・会食のための部屋で,
9はその控え室だと考えます.
9の「西二間」は,「御鷹の間」の間との境にある襖に絵が描かれていたと解釈します.

(1・)7・8・9・10は「会所」です.
家康の接待は伝三の丸の御殿でおこなったと文献に記されていることや,
発掘調査の結果,伝三の丸から茶釜が出土したことから,
伝三の丸の御殿は「会所」だったと推測できます.
しかし,室町将軍邸でも会所は複数あったそうですから,
安土城でも会所が複数あっても問題ないでしょう.