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タイトル「安土山御天主之次第」再現平面図
記事No: 190 [関連記事]
投稿日: 2005/03/03(Thu) 01:28
投稿者T.m

「安土山御天主之次第」再現平面図 画像サイズ: 432×596 (12kB) とりあえず、「安土山御天主之次第」から再現される二重目(一階)の平面を提示します。

図中の数字は、「天主之次第」に記されている部屋順を示し、Mの「北之方御土蔵有、」
は別棟(付櫓)を想定しています。
石倉(地階)よりの階段については、机上の試案であるということで遺跡現状との整合性を
必要としないものとして付していません。

「天主之次第」に記されている座敷が身舎の内に全く過不足無く納まるのがご理解
いただけるかと思います(おそらくは実際の間取りにも近いのではないかと・・・)。

入側中間の朱線は三重目(二階)の規模を示し、身舎四隅の丸印の柱は、牛一が考えた
通し柱として四重目(三階)の外周四隅に至るものとしてその規模を示します。
都合、

二重目(一階)平面規模 ・ 11間×16間
三重目(二階)   同   ・ 9間×14間
四重目(三階)   同   ・ 7間×12間

であり、それぞれ「天主之次第」いうとところの

二重目(一階) ・ 204本(※『安土日記』においては全体数)
三重目(二階) ・ 146本
四重目(三階) ・ 93本

という柱数の算出根拠(牛一が)になった平面規模と考えます。


ただし、「天主之次第」に記されている二重目(一階)の平面規模は

「二重石くら之上廣さ、南北へ廿間、東西へ十七間。」

であり、提示した図における柱数も204本には到底及びません。
そうした齟齬を如何に説明出来るかが「天主之次第」の史料としての性格、成立ちを
解き明かす鍵になるのです。


タイトルRe: 「安土山御天主之次第」再現平面図
記事No: 191 [関連記事]
投稿日: 2005/03/13(Sun) 15:28
投稿者森嶋

T.mさんの復元案へいくつかコメントします.


間取りについて,
図のようにすべきではないでしょうか.
AとBは対面のための部屋で,
Aは上段と考えるべきでしょう.
T.mさんの間取りでは,
部屋の機能が不明確だと思います.

また,赤く塗られたDは,
おそらく「縁の6畳」を意味すると思いますが,
これはやはり周囲の廊下にあり,
門の上にあって出入を監視するための部屋だと考えるべきでしょう.


天主地階の礎石のない穴について,
戦前の調査報告書は,掘立柱の跡とは思えない,としていましたが,
最近の調査報告書では,戦前の調査報告の状況から考えて,
戦前とは逆に,掘立柱の跡だという説を提示しています.

この説が正しいとすれば,
この柱の位置が安土城天主の中心であり,
また,この柱は姫路城大天守のように通柱だったと考えられますから,
従来の内藤説・宮上説は誤りであることになります.
宮上説は修正できるでしょうが,
内藤説は完全な誤りとなります.

そして,安土城天主を推定復元する場合,
この柱の問題を考慮しなければならないでしょう.
T.mさんの復元案もこの柱の問題を考慮して改良するか,
そうしないのであれば,
礎石のない穴が何であるのかを論じる必要があるでしょう.


『安土日記』等で牛一が記した天主の数字は,
故宮上氏が指摘したように,
天主台の石垣の高さが間違っているなど,
信頼性に欠けると思います.


タイトルRe: 「安土山御天主之次第」再現平面図
記事No: 192 [関連記事]
投稿日: 2005/03/13(Sun) 15:30
投稿者森嶋

Re: 「安土山御天主之次第」再現平面図 画像サイズ: 396×339 (13kB) 図をはり忘れていました.


タイトルRe: 「安土山御天主之次第」再現平面図
記事No: 193 [関連記事]
投稿日: 2005/03/17(Thu) 17:39
投稿者T.m

Re: 「安土山御天主之次第」再現平面図 画像サイズ: 432×596 (12kB) 森嶋 さん、お久しぶりです。
レスが遅れてすいません。

>T.mさんの復元案へいくつかコメントします.

説明不足で誤解を与えたようですいません。
先の図は『安土日記』のそれではなく、「安土山御天主之次第」として改編されたものに
基づく再現=牛一復元案の推定図であり、そこに記された部屋々々をパズルのように
組み合わせていくと、斯くのごとくきっちりと納まるということを説明するものです。
それはまた、牛一(建築に素人な)の改竄の痕跡を指摘するものでもあります。


>また,赤く塗られたDは,おそらく「縁の6畳」を意味すると思いますが,

赤く塗られたDは、「天主之次第」において追加されている「奥四てう敷に雉之子を
愛する所あり。」であり、本来『安土日記』ではAの「次四てう敷」の画題となっている
ことを故・宮上氏は指摘し、『天守指図』批判の一つとしています。

森嶋 さんもご指摘のように、本来『安土日記』ではGの「東十二畳敷」に続いて
「御縁六てう敷」が記されていますが、図のように牛一が復元した平面の入り側の幅は二間であり
それを想定する余地がなかったことから、身舎部における余剰処理を含めDが代替的に追加され
たものと考えます。


>天主地階の礎石のない穴について,
>戦前の調査報告書は,掘立柱の跡とは思えない,としていましたが,
>最近の調査報告書では,戦前の調査報告の状況から考えて,戦前とは
>逆に,掘立柱の跡だという説を提示しています.

とのことですが、安土城郭調査研究所の方でも見解は分かれているかと存じます。


>礎石のない穴が何であるのかを論じる必要があるでしょう.

自分としては、同じ列の西側に裏返しの礎石が在ることからも過去に盗掘もしくは発掘があったと見ます。
おそらくは、従来、一部にも言われているように鎮壇具が収められ、その上に「金灯爐」が吊られていた
ものと推察します。


>『安土日記』等で牛一が記した天主の数字は,
>故宮上氏が指摘したように,
>天主台の石垣の高さが間違っているなど,
>信頼性に欠けると思います.

『安土日記』ではなく「天主之次第」の間違いかと思いますが、
その宮上氏ですら「二重石くら之上廣さ、南北へ廿間、東西へ十七間」は一応正しいデータ
(※復元される天主台の辺長)と考えられていたようですが、まさにそこにこそそれらの数値の正体を
解き明かす鍵があったと自分は考えています。

安土城天主復元において最大のネックとなるのは柱数の問題であり、「天主之次第」における
二重目の柱数・二百四本は、本来、全体の数量であったと見るべきことを宮上氏は指摘
されていますが、まさにそれを基に牛一が他の架空の数値を算出したものと考えます。

そもそも『安土日記』と『信長(公)記(「安土山御天主之次第」を所収)』を比較すると、
信長が与えた恩賞等の数値に水増しが行われていることが指摘できます。
それは、「安土城天主」という亡君・信長の一大モニュメントに対しても同じなのではないでしょうか。
現に、「天主之次第」においては最上階である七重目に「四方之内柱に上龍下龍、天井ニハ
天人御影向之所」の一文が付け加えられており、宮上氏は「より一層立派に見せる為に書き
加えた可能性が大であろう。」と述べられています。

そうした前提の下に作成したのが先の図であり、
牛一は三重目、四重目の柱数を下記のごとく計算し、

 二重目・204=12×17
 三重目・146=10×15=150−4
 四重目・ 93≠ 8×13=104
       92=   ×12= 96−4※数え間違えと誤記? 

二重目の規模に関しては、12を20とし柱列をそのまま柱間と記す誤りを犯し、
一方の17は「十六間々中」という高さに等しいことから、
残る12を天主台の高さに充てたものと推察します。

もとよりベタに柱が立つ平面は復元案としては実在性に乏しいものの、
建築に関して素人の牛一にとって、そうした「厳正さ」は必要としていなかったものと考えます。


タイトルRe: 「安土山御天主之次第」再現平面図
記事No: 194 [関連記事]
投稿日: 2005/03/18(Fri) 20:51
投稿者森嶋


お返事ありがとうごいます.

> 先の図は『安土日記』のそれではなく、「安土山御天主之次第」として改編されたものに
> 基づく再現=牛一復元案の推定図であり、そこに記された部屋々々をパズルのように
> 組み合わせていくと、斯くのごとくきっちりと納まるということを説明するものです。

なるほど「牛一復元案の推定図」ですか.
これはこれで面白い問題ですね.



> 安土城郭調査研究所の方でも見解は分かれているかと存じます。

発掘調査報告書を読みましたが,
見解が分かれているような記述ではなかったように覚えています.
ただし,「掘立柱の跡」という説を発表するまでに,
研究所内で大激論があったことは容易に推測できます.

内藤氏は研究所と関係が深いようで,
例えば,これまでの復元CGは全て内藤説に基づいていました.
「掘立柱の跡」とすると,
内藤説は完全に誤りとなりますから,
主に政治的な理由で反対する人もいたと思います.



> 『安土日記』ではなく「天主之次第」の間違いかと思いますが、

私の間違いでした.



> そもそも『安土日記』と『信長(公)記(「安土山御天主之次第」を所収)』を比較すると、
> 信長が与えた恩賞等の数値に水増しが行われていることが指摘できます。
> それは、「安土城天主」という亡君・信長の一大モニュメントに対しても同じなのではないでしょうか。
> 現に、「天主之次第」においては最上階である七重目に「四方之内柱に上龍下龍、天井ニハ
> 天人御影向之所」の一文が付け加えられており、宮上氏は「より一層立派に見せる為に書き
> 加えた可能性が大であろう。」と述べられています。

これはきわめて重要かつ興味深い問題ですね.

最近,建築史の専門家による新しい復元案が発表されたようです.
それによると,『安土日記』だけでなく『信長公記』にも史料価値があると考え,
一階は17間×20間の不等辺7角形だそうです.

恩賞などの数値に水増しがおこわなれているとすれば,
天主の規模についても「数値の水増し」がおこなわれている可能性があるでしょうし,
私も「数値の水増し」がおこなわれていると思います.

秀吉建造の天守の規模は12間×10間が標準だったようですし,
『安土日記』『信長公記』で記された諸部屋も,
この大きさにおさまるからです.

また,岡山城天守の内部構造は単純なので不等辺5角形でも,
建築上の困難は少ないでしょうが,
安土城天主は多くの部屋があるので,
内部構造は複雑ですから,
不等辺7角形という建築上の困難が大きくなるような選択を,
設計者はしなかったと思います.

新しい復元案はまだ論文のかたちで公表されていないようですから,
論証の詳細はわかりませんが,
新しい復元案には多くの問題があると私は思います.