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タイトル安土城の構造 その二
記事No: 170 [関連記事]
投稿日: 2003/02/11(Tue) 09:12
投稿者森嶋

安土城の構造 その二 画像サイズ: 509×428 (30kB) 次に,信長がどのように天主に行ったかに関する私の考えを説明します.

七曲道が黒金門につながることは発掘調査で明らかになっています.
このルートは信長専用であった可能性があるとされています.
これが正しいとすると,
黒金門
>帯曲輪
>二の丸
>天主取付台
>天主
ということになります.しかし,これは無駄な動きが多いと思います.

発掘調査の結果,天主台の下・二の丸入口の前に大きな建物があったと
考えられています.
私は,信長はこの建物から天主に入ったと思います.
復元CGでは,この建物は三階建になっていましたし,
私もこの建物は三階建で天主一階と通路でつながっていたと思います.
ただし,建物の高さは復元CGよりかなり高かったと考えます.

このように考えると,
七曲道
>黒金門
>帯曲輪
>天主台下・二の丸入口前の建物
>天主
となり,天主西側にある信長の居住部分に直接行くことができ,
信長の動線を考えると自然でしょう.

また,便所は天主内にはなく,天主取付台の建物,
天主台下・二の丸入口前の建物にあったと思います.


図は,これらを考慮した天主一階の推定復元図です.
東側の階段の高さは14尺,長さは28尺から42尺
(一間7尺で四間から六間),西側の階段の高さは14尺,
長さは最大で三間余(一間7尺)だと推測します.
(二の丸入口前の建物の向きにあわせて調整するための場所が
必要なので,実際はこれより短かったはず.)


秀吉大坂城から推測して天主地階は金蔵になっていたでしょう.
私は,日常,地階は閉鎖されていたと考えます.

天主で働く人も北の搦手門から天主取付台の建物に入り,
天主東側の通路から天主に行ったと思います.
天主東側の通路は,食事を運ぶ必要があるので,
階段の傾斜が非常に緩やかだったと推測します.

西側の通路は,原則として信長専用だったと考えますが,
二の丸に妻妾が住む建物(奥向御殿)があったとすれば,
妻妾も使ったかもしれません.

そして,二階の対面座敷に行くための,
信長専用の階段が3の隣にあったと思います.この場合,階段の上半分は
2の部屋にある飾り棚の上にあったことになります.

その他に以前の図と違うところは,
六畳の縁の前を内藤説・宮上説と同様に格子戸にしたことと,
9の間取です.

東の門外の二間四方にも当然,門番がいたでしょう.
9の階段室の見張は受付・案内も兼ねていたと思います.
9の間取は,いろいろ考えましたが,これが一番自然でしょう.



また,「斜角を持つ軒平瓦」は天主の瓦とは限らないと考えます.
特に北の搦手付近の天主取付台にあった建物は,
かなり複雑な形状をしていたと考えられていますから,
その瓦ではないでしょうか.