[掲示板へもどる]
一括表示

タイトル城の再発見!天守が建てられた本当の理由
記事No: 453 [関連記事]
投稿日: 2008/12/29(Mon) 17:02
投稿者Tm.

こんなサイト見つけました。
http://castles.noblog.net/

最近、名護屋城天守台跡の礎石における特異な柱割について知ったのですが、
事によると秀吉の天守については今一度の再考が必要かも知れません。


タイトルRe: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由
記事No: 454 [関連記事]
投稿日: 2008/12/31(Wed) 08:08
投稿者哲平

豊臣大坂城に再建説があったんですね 知りませんでした
確かに夏の陣と冬の陣の屏風絵では天守が違いすぎますもんね

当時の大坂城は 三国無双 と言われた程ですし 秀吉も自慢して見せていたようですし 再建でなければ30年も地上に存在していたのですから 関係者の間では 屏風絵が似ているのか似てないのかくらいはすぐに判断できた事でしょうね

これは徳川方に配慮してあまり豪華絢爛に描かなかった 描けなかった
のかと思ってました

まだ有料の方は読んでませんが 先輩方で読んだ方の意見とかあったら教えてくださーい


タイトルRe: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由
記事No: 455 [関連記事]
投稿日: 2008/12/31(Wed) 10:27
投稿者淳也
URLhttp://blog.goo.ne.jp/asitaka_001

Tm.さん哲平さん、こんにちは、
最近は、信長が建立したハ見寺の復元で遊んでまして、
すっかり安土城天主の復元考察が滞っております。

さて、
秀頼が大坂城を再建したという説は、これが初めてではないでしょうか?

考えてみると、
江戸城も、家光までは、代替りごとに天守を建て替えていたので、
秀頼の代で天守を建て替えた可能性は、十分に考えられます。

>名護屋城天守台跡の礎石における特異な柱割
とは、1.5間幅の柱割りの事でしょうか?

たしか、現存の姫路城にもあったように思われます。

天守内部を、御殿(座敷)として使用する場合、
柱割を1間幅に固定してしまうと、
部屋の広さが自由にならないからではないかと・・・。


タイトルRe: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由
記事No: 456 [関連記事]
投稿日: 2009/01/02(Fri) 00:16
投稿者哲平

あけましておめでとうございます
今年も楽しく安土城について勉強したいです

> 江戸城も、家光までは、代替りごとに天守を建て替えていたので、
> 秀頼の代で天守を建て替えた可能性は、十分に考えられます。
他の大名では無い 出来ない事でしたから正に王者の権威象徴でしょうか
代が代わったという事を知らしめるには一番わかり易いですよね

>名護屋城天守台跡の礎石における特異な柱割
>とは、1.5間幅の柱割りの事でしょうか?
勉強してきます、、、

明日は津山に津山城跡を見に行ってきます
今年もまたよろしくお願い致します!!


タイトルRe: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由
記事No: 457 [関連記事]
投稿日: 2009/01/05(Mon) 07:01
投稿者Tm.

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
話題を振っておきながら返事が送れすいませんでした。


哲平さん
> 確かに夏の陣と冬の陣の屏風絵では天守が違いすぎますもんね

正直なところ「夏の陣図」のそれは、実物を見たことの無い絵師が、当世様(層塔型)の天守をそれ(豊臣大坂城)風に描いたものであり、雰囲気は伝えている(最上階など)ものの細部までを全面的には信用するわけにはいかない、というのが自論です。
一方の「冬の陣図」は天守北側の腰曲輪部分の付庇を確り描いており、題材的な条件からしても、それを描いた絵師は実物を見たことがあった(御殿障壁画の製作にも参加?)と考えられますし、敢て秀吉の代の姿で描いたというのは首肯し難く思います。
おそらく、秀頼の代に修理、改築(最上階の軒唐破風など)もあったとは思いますが、全くに新築されたとは考えられませんね。


淳也さん
> >名護屋城天守台跡の礎石における特異な柱割
> とは、1.5間幅の柱割りの事でしょうか?

というより、10尺間、9尺間、6尺5寸間が混在するという状況をどのように考えるべきか、これまで7尺間だとばかり思い込んでいたので、それを知ったときには衝撃を受けました。
また、中央に芯柱のものかと思われる方13尺間の礎石が据えられいるのは、その部分が《吹き抜け》にでもなっていたのかとも思わせられます(笑
果たしてそれが、名護屋城特異なものなのか否か興味が持たれるところですが、最近でも三浦正幸氏によって新たな復元図(外観のみ?)が発表されているものの、そうした事実には触れられておらず、また反映されてもいない様ですから悩まされること頻りです。


PS.ディアゴスティーニの『週刊安土城を作る』がよいよ全国発売されますね。佐藤氏の復元案には同意しかねるものの、購入するつもりです。


タイトルRe: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由
記事No: 458 [関連記事]
投稿日: 2009/01/05(Mon) 21:37
投稿者淳也
URLhttp://blog.goo.ne.jp/asitaka_001

Tm.さん、こんにちは。

> というより、10尺間、9尺間、6尺5寸間が混在するという状況をどのように考えるべきか、これまで7尺間だとばかり思い込んでいたので、それを知ったときには衝撃を受けました。
> また、中央に芯柱のものかと思われる方13尺間の礎石が据えられいるのは、

名護屋城の天守台の発掘については、ほとんど知らなかったので、
これはオドロキです!!

考えてみると、秀吉の建てた天守が発掘されたのは、名護屋城が初めてで、
それ以外の天守については、推測されているだけで、内部構造は全く不明でしたから、

名護屋城天守の、”すべての資料に矛盾がない天守を完全復元”(^^)
していただける人が出てくれると良いのですが・・・・・・。

さて、安土城復元案のサイトは、
作者がハ見寺にかかりっきりなので、
本年もたぶん、更新できないのではないかと思いますが、
また思い出した時にでも、ヨロシクお願いいたします。


タイトルRe: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由
記事No: 493 [関連記事]
投稿日: 2009/05/25(Mon) 13:49
投稿者哲平

皆さんお久しぶりです。
Tm.さんデアゴの安土城は順調に組み上がっていますか。

Tm.さんから紹介頂いたサイトが面白いですね。
大坂城の考証サイトですが安土城にも触れていて次回は吹き抜けと高すぎる
石垣について考察する予定みたいです。

色な方の色んな意見を聞いて安土城の本来の姿に少しずつ近づきたいですね。


タイトルRe: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由
記事No: 495 [関連記事]
投稿日: 2009/05/31(Sun) 21:28
投稿者Tm.

> Tm.さんデアゴの安土城は順調に組み上がっていますか。

哲平さん、お返事遅れ申し訳ありません、途中で断念しました。
何より、借家では十分な作業スペースが確保できませんから。
自分で着色しなければならないというのも想定外でした。


タイトルRe: 城の再発見!天守が建てられた本当の理由
記事No: 496 [関連記事]
投稿日: 2009/06/01(Mon) 16:23
投稿者哲平

やっぱり安土城建築(組立)は時間と労力が必要なんですねぇ(汗)

僕は吹き抜けは無かったのかなぁと思っていましたが あのサイトを
読んでたらやっぱり吹き抜けはあったのかもと思えて来ました。
何の立証もないですけど、ちょっとホッとした気分です。