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タイトル安土城の構造。
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投稿日: 2008/05/26(Mon) 09:41
投稿者番長

 安土城跡の発掘調査も現場調査は平成19年の調査でおわり、まとめの時期に入っています。
 基本的に考古学においては、基礎部分の構造や城郭の基礎の展開についてはわかりますが、上の建物の構造についてはわかりません。
 安土城も例外ではなく、文献史料を基にして様々な復元がなされていますが、実際どうかは今後もはっきりしないでしょう。
 ただ今回の20年にわたる滋賀県による発掘調査で多くの新しい事実の発見があり、安土城についてのいわば「固定観念」が崩れたことは明確な事実で注目されることです。
 大まかにいえば、安土城は従来「軍事的な目的の城」ではなく「政治の拠点としての城」で軍事施設はないということがいわれてました。そして考古学的な発見からこれは完全に崩れました。
 中心城郭部分(本丸)を核にして、4つの砦状遺構(「平」地名をもつ場所)正面大手北の物見櫓と思われる遺構、そして城郭山麓東に展開する日常的な空間とは違う特徴をもつ郭群の存在。西側城下町北に確認された総構土手の存在により、特にお城の東側からの攻撃に備えた設備に防御上の重点をおく「軍事要塞」であることは明らかです。
 そして最大の特徴ともいえますが、「軍事要塞」の中核である「本丸」内の本丸御殿が内裏の清涼殿の構造であることが「礎石配置」から文献記述が裏付けられたこと、大手門の構造が平安京の三門形式の構造になっていることから大手道が武家の通用道でない可能性が濃くなったことがあります。 
 朝廷の儀式を行う宮殿を軍事要塞で囲む構造といえる特殊な形態は安土城しかみられないものでしょう。こういう観点かた天主の性質、目的も考察していく必要があります。
 また織田信長が居住していた屋敷も山頂本丸内にあったことは既に論及されており、本丸御殿が「清涼殿」で儀式的空間なら、当主の信長がどこに住んでいたか??信長の家族(ホストファミリー)はどこに住んでいたか?も新たな問題です。
 新たな発見があり、新しいことがわかると必ず新しい問題点が生まれるものです。天主の構造と性格の考察も新たな局面を迎えたといえるでしょう。


タイトルRe: 安土城の構造。
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投稿日: 2010/09/21(Tue) 19:58
投稿者お早うからはじまります

城最高やあ!