[掲示板へもどる]
一括表示

タイトルTm.の天主一階平面復元案
記事No: 271 [関連記事]
投稿日: 2005/05/25(Wed) 19:14
投稿者Tm.

Tm.の天主一階平面復元案 画像サイズ: 753×630 (20kB) 「天主台=天主郭」説を採る立場からすれば本来その平面は完全な矩形であって然るべき
ところですが、とりあえず西側を石蔵の形状に合わせ、中央の穴を心柱のものと仮定し左図のように
復元しました。
日ノ本さんも触れられていますが、施工にあたり出来上がった石蔵の形状に合わせ変更された
可能性もあったのでないかと思います。


『安土日記』に記されているところは

1) 十二畳敷 墨絵ニ梅之御絵を被遊候
  同間内 御書院有 是ニ遠寺晩鐘景気被書まへに盆山被置也、
2) 次四てう敷 雉の子を愛する所 御棚ニ鳩計かゝせられ
3) 又十二てう敷ニ 鵝をかゝせられ 鵝の間申也
4) 又其次八畳敷 唐の儒者達をかゝせられ
5) 南又十二てう敷
6) 又八てう敷
7) 東十二畳敷
8) 御縁六てう敷
9) 次三てう敷
10) 其次八てう敷 御膳を拵申所也
11) 又其次八畳敷 御膳拵申所  
12) 六てう敷 御南戸  
13) 又六畳敷
14) 北之方 御土蔵有
15) 其次御座敷廿六畳敷 御なんと也
16) 西 六てう敷
17) 次十(七)てう敷
18) 又其次十畳敷
19) 同十二畳敷

ですが、その間取りを復元するに、秀吉の大坂城殿舎(「本丸図」)との比較からも機能的には
五つのブロックによる構成の基に設計されていることが指摘できます。

すなわち、

6) 7) 8)によって構成される一画は「遠侍」に、

1)は信長の公的な「居間」兼「書院(執務室)」であり、2) 3) 4) 5)は私的な「対面所」、
9)は「茶湯所」と推測され、10) は「配膳所」=「料理の間」であり、「6間(南辺)×7間」の規模に
納まるこれらの一画は「主殿」に相当し、

「配膳所」である12) および二つの「御南戸」(小姓、女中たちの詰所か)からなる一画は天主取台を
介して東方の台所と接続していたと考えられ、「上台所」であり家臣たちの天主への※通用口であった
とみられ、

二十六畳敷きの「御納戸」である15)、および「侍女(小姓)の控えの間」とみられる16)、
そして信長夫妻の私的な「居間」兼「寝室」と推測される17)18)19) からなるこの一画は、
「本丸図」において奥御殿の際奥、天守の南方に位置し「納戸・御殿」と記されている建物と
平面的にもよく似ており、

14) の「御土蔵」については「本丸図」のそれ「御物土蔵」と一致します。

城郭における御殿構成として、安土城天主一階は(中)奥向きの空間であったと指摘できるかと
思います。

また地階は「本丸図」の奥御殿の北方にあって塀に囲まれ番所を有した「御土蔵」に相当し、
金銀が収められた蔵として※閉鎖的な空間であったとみられます。


現実問題として天主台の上部平面が完全に崩壊している以上「文献」のみでの復元には限界が
ありますが、少なくとも『安土日記』に記録されている部屋の床面積合計と推定される上部の復元
平面との間には差が大きく、「天守指図」のごとく中央にそれを解消する空間を想定しない限り、
天主台の上部全面あるいはそれをはみ出す形での「本体平面」を主張するのは難しいと思われます。


タイトルRe: Tm.の天主一階平面復元案
記事No: 275 [関連記事]
投稿日: 2005/06/25(Sat) 09:47
投稿者森嶋

Re: Tm.の天主一階平面復元案 画像サイズ: 225×230 (8kB) > 「天主台=天主郭」説を採る立場からすれば本来その平面は完全な矩形であって然るべき
> ところですが、とりあえず西側を石蔵の形状に合わせ、中央の穴を心柱のものと仮定し左図のように
> 復元しました。
> 日ノ本さんも触れられていますが、施工にあたり出来上がった石蔵の形状に合わせ変更された
> 可能性もあったのでないかと思います。

天主は矩形であったと考えるべきです.
日本だけでなく洋の東西を問わず,木造建築は矩形が基本であり常識です.
敷地が十分にあるのに,
わざわざ不等辺多角形の(高層の)建物を建てることはありえないでしょう.
天主地階の穴倉の面積をできるだけ広くするために,
天主地階の穴倉を天主台の形状にあわせたにすぎないと思います.

不等辺多角形の天守の実例として岡山城の天守があげられていますが,
岡山城は,本丸に御殿を建て,
その本丸の残りの敷地に天守を建てなければならないという制約があり,
その敷地が狭いので,天守一階平面はあのような不自然な形状になったと考えます.
もし十分な広さがあれば,岡山城も矩形の天守を建てたはずです.


さらに,安土城天主の3階の大入母屋の棟の方向は東西だったと考えます.
したがって,天主各階は,東西の辺が南北の辺より長いか同じ,
つまり,東西に長いか正方形であり,
南北に長いということはありえないでしょう.

私がこのように考える理由を説明します.
安土城の大手は南に3門が並んでいて,
さらに真直ぐで広い大手道があり,
その延長線上に天主があります.

安土城は,南に3門があることから,
日本の古代の宮殿,したがって,
中国の宮殿建築の影響を受けていると考えられます.

日本の書院造りの御殿では,
棟の方向はどうでもいいことですが,
中国の宮殿では,正殿は南向きで,正門と同一線上にあり,
その棟の方向は東西方向です.

したがって,安土城の天主も棟の方向は東西だったはずであり,
大手から天主を見ると,
入母屋の破風板は見えず,
天主の屋根のイメージは宮上説に近いと思います.(図参照)



> その間取りを復元するに、秀吉の大坂城殿舎(「本丸図」)との比較からも機能的には
> 五つのブロックによる構成の基に設計されていることが指摘できます。

私も秀吉大坂城本丸御殿と安土城天主は機能的に密接な関係があると考えていますが,
これについては,別の機会に論じたいと思います.


タイトル天守最上階の棟向について
記事No: 276 [関連記事]
投稿日: 2005/06/25(Sat) 10:20
投稿者Tm.

> 天主の屋根のイメージは宮上説に近いと思います.(図参照)

とのことですが、前期望楼型天守に共通する特徴は中層の大屋根と
最上階の屋根の棟向きが交差していることにあり、宮上案のそれは
「黒田屏風」の大坂城のそれに固執し過ぎた故の誤りだと断言できます。
「本丸図」に一致する特徴=北側の付庇を描いている「市街図屏風」や
「冬の陣図」のそれはちゃんと上記の特徴を有しています。

それに対し後期望楼型天守は、より実戦的であることへの要求から
最上階を楼閣風に設える必要性が薄れ、結果的に中層の大屋根と
最上階の屋根の棟向きが同じになったものといえます。

ですから宮上案のそれも前者の様に改められるべきと存知ます。


タイトルRe: 天守最上階の棟向について
記事No: 277 [関連記事]
投稿日: 2005/06/25(Sat) 10:53
投稿者森嶋

> > 天主の屋根のイメージは宮上説に近いと思います.(図参照)
>
> とのことですが、前期望楼型天守に共通する特徴は中層の大屋根と
> 最上階の屋根の棟向きが交差していることにあり、宮上案のそれは
> 「黒田屏風」の大坂城のそれに固執し過ぎた故の誤りだと断言できます。

安土城天主が中国の宮殿・楼閣を意識して建築されていることは,
「朱塗りの柱をもつ八角形の階」に明瞭に示されていると思います.

この「朱塗りの柱をもつ八角形の階」は安土城天主だけの特徴であり,
屋根の棟も他の天守建築と違って,
「中国」風に東西方向に統一したと考えます.